バートランド・ラッセル『原子時代に住みて』訳者(赤井米吉)-序文
* 出典:バートランド・ラッセル(著),赤井米吉(訳)『原子時代に住みて』(理想社,1953年12月刊。287pp.)* 原著:New Hopes for a Changing World, 1951
* 赤井米吉(1887-1974):明星学園を創設(1924年),後にふじ幼稚園園長。ラッセル協会の発起人の一人。写真は,明星学園内(三鷹市井の頭)にある胸像。
* なお,訳者序文にはいくつか書誌的事項の誤りがあるため,修正した。<
この書はバートランド・ラッセルの「変りゆく世界の新しい希望」(New Hopes for a Changing World, 1951)の訳である。これは彼が,「原子時代に住みて」(Living in an atomic age)という題でラジオ放送(BBC)したものを書き直したものであるから,訳書の題名はこれによった。
ラッセルは,1872年生まれであるから,今年(1953年)81歳,現代世界の哲人の中で最も高齢の方である。1950年,「人道および思想の自由の戦士としての彼の多方面にわたるすぐれた著述」をたたえられて,ノーベル文学賞が贈られたように,数学,哲学,社会学の多方面にわたって,多くの著書がある。この書(原著)はその1951年に出たものである。
ラッセル家はイギリスの最も古く,有名な貴族で,多くの政治家が出ている。彼の祖父ジョン・ラッセルはヴィクトリア女王時代に2度首相になり,自由貿易,自由教育,ユダヤ人解放などのためにたたかった自由主義者であった。彼は3才(ほぼ4歳)で孤児となり,この祖母の手で貴族的な教育をうけたのであったが,その間にも自由の精神は植えつけられた。1931年,彼の兄が死んだので,彼はその後をついでラッセル卿となるはずであったが,遺産相続に反対する信念から,これを拒絶して一介の「バートランド・ラッセル」として世に立ち,著述によって生活することを誇りとしている。(松下注:称号は使わないこととしたが,第3代伯爵の爵位は継いでいる。)彼はしんからの自由人である。しかし彼の自由主義は彼の氏や育ち,または近代イギリスの自由主義の伝統よりも,彼の真理を愛好する熱情から生まれているものが強い。彼は12才(注:11歳の間違い)の時にユークリッドの勉強をはじめて以来,数学を好み,科学を人間進歩の源泉と考えていた。彼の数学に対する愛好は情熱的で,「数学を正しくみると,それはただ真理であるだけではなく,最高の美をもっている。その美しさは彫刻の美しさのような冷たく,厳しいもので,われわれの劣情に訴えるものでなく,また絵画音楽のようなはなやかな装飾をつけていない。むしろ荘厳な清らかさと偉大な芸術のみが見せることのできる極度の完全さがある」といっている。
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わたくしは彼の写真をみて,「愛と理性」の結晶という印象をうけた。わたくしは戦後のわが国において,また世界においても,最も必要なものは,「愛と理性の教育」であると考えて,いささかそれを提唱してきた。ラッセルのこの書を読んでいよいよこの感を深くし,これをわが国の人々に広く読んでもらいたいと思って,この訳をしたのである。われわれは科学を無視してはならない。むろん呪ったりすべきものでない。われわれに同胞愛があるならば,科学はわれわれに最大の幸福をもたらすものである。このことをこの書はよく教えている。
むろんただ一つの科学ですべてを解決することは出来ない。彼はこういっている。「ただ一つの鍵というものはない。政治学も,経済学も,心理学も,教育も万能の鍵ではない。すべてが働き,すべてが反動する。すべての生活とすべての科学を包含することが必要である。わたくしのできうることは,ある人々に問題を意識せしめ,解決をもとめる方向を知らしめることだけである。」そういうつもりでこれを読む人々には,ここに多くの学ぶべきものがあることを疑わない。
教育を主題とした著作(=単行本)は2,3しかないが,その他の著作においても,専門的なもの以外では,悉くといってよい程に教育について論じている。また実際,1923年~1932年には,(英国)サセックス州で,非常に進歩的な学校を開いて,幼児の教育を試みたが,余りに彼の時間がそれにとられすぎるので中止した。彼は人類の大教師である。
この書の序文に「日本の読者への手紙」をもらいたいとたのんでみたが,「問題は非常に複雑であり,それに必要な知識を十分もっていないので,今のところ書くことに気がすすまぬ」という返事であった。こういうところにも彼の人となりがあらわれている。彼は今
41 Queens Road, Richmond, Surrey
にいて,静かに思索の生活をしている(上の Google Satellite 写真で,Hが71番地,Iが8番地であるため,丁度中間地点か?)。老哲人の静かな生活をわずらわしてはならないが,読者諸君が読後の感想を送られるならば,彼はよろこぶであろう。