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(語学テキスト)中島文雄(編注)『Living in an atomic age』
(英宝社、1954年3月刊。104pp.)

* 中島文雄(なかじま ふみお、1904年-1999年12月28日):英語学者。東大英文科で初めて、英語学専門の教員となる。日本英文学会会長、日本シェイクスピア協会会長等を歴任。定年後の1965年、津田塾大学教授、1973年、同学長。1974年から日本学士院会員。/ラッセル協会設立発起人の一人)

編者はしがき(中島文雄,1954年1月)

 Bertrand Russell は、1872年,英国西部 Monmouthshire に於て,Russell 家(Earl)の次男として生まれた。Russell 家は Duke of Bedford(ベッドフォード侯爵)家の流れを汲む名門であり、Bertrand Russe11 の6才の時に亡くなった祖父 John Russell(初代 Earl Russell)は、Victoria 朝時代に再度首相をつとめている。B. Russell は、1931年,兄の後を継ぎ Earl Russell(第三代ラッセル伯爵)になったが,この称号を好まず,自ら決して使わない。
 Russell は年少の頃から数学に非常な興味を持ち,Cambridge の Trinity Co11ege で数学と社会科学(松下注:ではなく、哲学)を専攻し,卒業後は数理哲学方面の研鑽を進めたが,一方この頃から Fabian Society(フェビアン協会)に入り,自由貿易や婦人参政権の問題にも強い関心を示していた。純粋な学究的情熱と強い政治的社会的関心とが夙に Russell の中に並存していたのである。学問の面では1910年 Whitehead との共著である Principia Mathematica の第1巻が刊行されるまで, Russe11 が最も精力を注いだものは数学の原理の問題であった。他方,実際活動の面では,1907年,落選はしたものの,婦人参政権支持者として立候補している。しかしながら,この学究生活を主,実際活動を従にした,いわば二重生活に終止符を打ったのが,第一次世界大戦であった。Russell は '.. it is probable that I should have remained mainly academic and abstract but for the war.' と言っているが,戦時中,その平和主義的思想また活動の為に,教壇を追放され,アメリカ行きの旅券も拒否され,更に罰金刑,蔵書押収,投獄などの苦しい体験をつぶさになめた Russell は、人間あるいは人間集団の中に潜む暗黒面、前近代性――ひいては近代文明の跋行性に就て、眼を開かざるを得なかった。学界の人に発言することより、一般公衆に語りかけることの方が,どれだけ重要なことか、Russe11 は戦争の推移に伴って,学び知った。戦争前に Russell の関心を惹いた問題は,もはや心をとらえなくなり,数理哲学者 Russe11 の代りに,世人は,現代文明の病弊に真正面から取組み,平明な言葉で語る哲人 Russe11 を見るようになった。
 1896年に処女作 German Social Democracy を出して以来, Russell が半世紀余に亘って世に問うた著作は大小併せて数十冊にもなろう。長年の警世啓蒙の功を認められ,1949年に Order of Merit を,更に1950年には Nobel 文学賞を受け,今や功成り名遂げた感じであるが,昨年はじめて短篇集 Satan in the Suburbs and Other Stories を世に問い,その老を知らぬ頭脳に世人を驚嘆させている。
 Russell はその長い生涯に一度も権力に屈せず,節を曲げることもなかった。一見平明で常識的に見える思考と文体の底には,意外なほど強靱なものが蔵されているのである。Russe11 が絶えず戦って来たものは,凡ゆる形態の dogmatism であり, fanaticism であり, absolutism であったと言えよう。RusseIl は個々の人間に優位する如何なる権威をも認めないのである。Catholicism や Communism に左袒しない理由もここにある。西欧の「正しい姿の」自由というもの, 個人主義というものを, 我々は Russe11 の言説の中に見ることが出来よう。
 もとより, Russell が立っている基盤と, 我々のそれとは,同一であり得ないし, 問題の次元が異なることもあろう。Russe11 自ら "I am accustomed to having my opinion explained (especially by Communists) as due to my connection with the British aristocracy, and l am quite willing to suppose that my views, like other men's, are influenced by social environment' と述べて居り, 例えば,その倫理的な感覚などには, aristocratic な面があることは否めないが, Russell を aristocratic と軽く片附ける一部の思想家よりも, Russell の方が人間の尊厳と自由のために、遙かに終始一貫した頑強な戦いを続けて来たという事実を忘れてはならないであろう。
 1927年に自選の Selected Papers of B. Russell の Introduction の末尾に, Russell は次の様に書いた、'… Narrow specialization cannot produce a philosophy which shall be of service to our age. It is necessary to embrace all life and all science−−Europe, Asia, and America, physics, biology, and psychology, . The task is almost super-human.' もとより自分のことを言った訳ではないが, この半世紀余りの Russell の歩みを顧みるなら,その業績は正しく「殆ど超人的」であった, と言っても必ずしも溢美の言とはならないであろう。

 本文の text は Lister 誌に May 17, 1951 から June 21, 1951 まで6回に亘って掲載されたものである。BBC放送の期日に就ては,正確なことは判明しないが,大体同じ頃かと思われる。