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バートランド・ラッセル『人類の将来』第12章「死者評伝」

* 出典:バートランド・ラッセル(著),山田英世,市井三郎(共訳)『人類の将来』(理想社,1958年6月。286pp.)
* 原著:Unpopular Essays, 1950)

第12章「死者評伝」(松下訳)
Chap.12: Obituary, 1937.
[この死亡記事は,悼(いた)まれはしたが遅きにすぎた私(ラッセル)の死亡に際して,1962年6月1日にタイムズ紙に掲載されるであろう(あるいはされないであろう)。同記事は,1937年のリスナー誌に,予言的に載せられたものである。(松下注:実際は,1936年8月号に掲載。ラッセルの記憶違いか?)]
 

・・・前略,中略・・・。
 ラッセルの生涯は,そのあらゆる不従順な奔放さにもかかわらず,19世紀初期の貴族的反逆者たちをおもいださせるような,ある種の時代錯誤的な首尾一貫性があった。彼がよって立った原理原則は奇妙なものではあった。しかし,(とりたてて言う程のものではないが)それはそれとして,彼の行動を支配したのである。彼は,私的生活においては,彼の著作を傷つけていた'辛らつさ'をまったく示さず,愛想よく談話をする人だったのであり,人間的同情心にも欠けていなかった。彼には多くの友人がいたが,彼らのほとんど誰よりも長生きをした。それにもかかわらず,同様に生き延びた友人たちの眼には,彼はその非常な高齢においても楽しみに満ちあふれているようにみえた。それは,疑いもなく,彼の変らざる健康によるところが大きかった。というのは,彼は,その晩年において,政治的には,王政復古後にミルトン同様に,孤立してしまっていたからである。ラッセルは,逝ける時代の最後の生存者であった。
* This obituary (full text) will (or will not) be published in The Times for June 1, 1962, on the occasion of my lamented but belated death. It was printed prophetically in The Listener in 1936.

...
His life, for all its waywardness, had a certain anachronistic consistency, reminiscent of that of the aristocratic rebels of the early nineteenth century. His principles were curious, but, such as they were, they governed his actions. In private life he showed none of the acerbity which marred his writings, but was a genial conversationalist and not devoid of human sympathy. He had many friends, but had survived almost all of them. Nevertheless, to those who remained he appeared, in extreme old age, full of enjoyment, no doubt owing, in large measure, to his invariable health, for politically, during his last years, he was as isolated as Milton after the Restoration. He was the last survivor of a dead epoch.