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バートランド・ラッセル(著)『教育論』への訳者(魚津郁夫)解説

* 出典:バートランド・ラッセル(著),魚津郁夫(訳)『教育論』(みすず書房,1959年11月。264+iv pp.)
* 原著: On Education, especially in early childhood, 1926)
* 魚津郁夫(1931~, うおづ・いくお)略歴

訳者あとがき

 本書は、Bertrand Russell, On Education, especially in early childhood, George Allen & Unwin Ltd., 1926; 12th impression, 1957 の全訳である。ラッセルが教育、とくに幼児期の教育に深い関心をもったのは、1920年代においてである。彼は自伝で次のようにのべている。(写真は、Beacon Hill School にて/出典: R. Clark's THe Life of B. Russell, 1975/長女ケートはラッセルの膝の上、長男ケートは向かって前列左から5人目)
「1921年、中国から帰ると、私は長い間育児とそれに附随する教育問題に熱中した。私はしきたりの教育を好まず、大抵の学校の『進歩的教育』は、純粋に教育的な側面からいって欠陥があるように思った。技術的に複雑なわれわれの文明では、人は、少年時代に単純な教育をたっぷり受けなければ(松下注:a very considerable dose of instruction: 「多くの知識と技術を身につけなければこの複雑な現代社会に生きていくことは出来ない」という意味であるので、下線の訳は適切とはいえない。)、重要な役割を果せないように見えたし、今でもそう考えている。当時は満足のゆく学校がみつからなかったので、自分の学校を始めてみた。しかし、学校は管理企業で、自分は管理者として不熟練なことがわかった。そのため学校は失敗だったが、さいわいなことに、この頃、当時立派な成果を上げていた別の学校をみつけた〔モンテッソリ式教育法による学校とマクミラン女史の保育園。本文参照〕。私は教育についての本を2冊書き〔本書と『教育と社会秩序』、1932年〕、教育問題を考えるのに多くの時間を費した。」(『自伝的回想』著作集第1巻、pp.13-14)
 不幸にして彼の学校は失敗に終ったが、自分で学校を経営してみようとするほどの、教育にたいする深い関心と情熱が、本書のなかにこめられている。またこの本が書かれた当時、彼はひとりの息子とひとりの娘(注:Katharine Tait)の父であったが、親としての数々の経験、その悩みと願いが、本書の内容をより具体的な、より生き生きしたものにしている。彼は次のように書いている。
「私のねらいとするところは、論争的な問題をできるだけさけることである。論争的な著述もある分野では必要であろうが、親たちにむかって語りかける場合には、彼らの子供の幸福を心から願っているわけだから、このことだけでも、それに近代的な知識がむすびついていれば、じつにさまざまな教育上の問題をあつかうのに十分である。私が言おうとしていることは、私自身が子供たちについていろいろ悩んだことからでてきている。だからそれは、現実ばなれをした理屈っぽいものではなく、私の結論に賛成か反対かは別として、私とおなじような悩みに当面している親たちの考えをはっきりさせるのに役だつことと思う。」(本書、p.3)
 子供は成長しておとなになるわけだから、子供の幸福を願うということは、一時的に子供のきげんをとりむすぶというのならとにかく、将来の人間や社会のありかたにかかわる容易ならぬ問題である。この本が、育児とか子供のしつけという具体的な問題をとりあげながら、つねに人間そのもの、社会そのものをひろくみわたす地点に私たちをみちびいてゆく理由が、ここにある。そしてこのことが、この本を、子をもつ親、教育にたずさわるひとたちだけではなく、自分が人間としてかかわりをもたざるをえないさまざまな問題について考えてみようとするすべてのひとたちの読むべき本にしているのである。
 だだし、この本では、もっぱら政治的・経済的な考察は最小限度にとどめられ、問題はなるべく個人のそれに慎重に限定されている。このことは、あらかじめ了解しておく必要がある。しかしそれは、けっしてこの本のねうちをそこなうものではない。むしろねらいは、はじめからそこにあった。というのは、ひとりひとりの人間生活にたいする愛情にみちた関心と洞察なしには、教育の問題を論じることはできないし、また政治的・経済的な考察は、それをふまえた上でなされるべきものであるからだ。この本は、生後の最初の1年間から大学にいたるまで、子供の成長の順を追ってのべられているが、その1章1章を独立したエッセイとして読むこともできると思う。教育の問題だけではなく、人間論、人生論が明快に、ときには辛らつに展開されているからである。
 全章をつうじて、教育は子供の本能をおさえつけることではなく、習慣と技能を身につけることによって、それをよい方向にのばしてゆくようにしてやることにあり、知識教育においては、たえず子供の自発的な好奇心にうったえ、知的冒険の精神を与えるようにして、子供たちのなかから最大限の可能性をひきだしてやらなければいけないことが、くりかえしのべられている。外的な権威によって子供たちをおさえつけることに対して、ラッセルは徹頭徹尾反対するのである。
 本書には以前に堀秀彦氏の邦訳〔『世界大思想全集』第18巻、河出書房、昭和28年〕があり、参照させていただいた。
 最後に、本書の翻訳をすすめて下さった市井三郎・鶴見俊輔さん、訳者の質問に答えて下さった青木信義さんをはじめ多くのひとたち、編集者の富永博子さんに感謝したい。  1959年11月 魚津郁夫