バートランド・ラッセルのポータルサイト

バートランド・ラッセル(著)『相対性理論の認識』第1章「さわることと見ること―地球と宇宙」_ 冒頭

* 出典:バートランド・ラッセル(著),金子務・佐竹誠也(共訳)『相対性理論の認識』(白揚社,1971年6月。226 pp.)
* 原著:The ABC of Relativity, 1925.
第1章「さわることと見ること―地球と宇宙」冒 頭
Chap. 1: Touch and Sight; the Earth and the Heavens
 虹の実在感覚

 アインシュタインが何かびっくりするようなことをしたことは誰でも知っていますが,ではアインシュタインがしたこととは何であるのかを正確に知っている人は微々たるものです。一般に認められていることは,彼が物理的世界についてのそれまでの概念を変革したということですが,その新しい諸概念は数学用語の衣をつけています。相対性理論をやさしく解説したものは,なるほど無数にあるわけですが,そういう解説は,一般に何か重要なことをいよいよ言い出す段になって,急にわけがわからなくなるものです。だからといって執筆者を責めることはまずできないでしょう。新しい考えの多くは非数学的な言語を使っていい表わせるのですが,にもかかわらず説明するとなると難しい。それに必要なことは,私たちの想定している世界像――それは遠い昔,たぶん人類以前の先祖から受け継がれ,私たちのだれもがまだ子どもになりたてのころ身につけたものです――を変えることなのです。私たちが想像力を変えることはつねに困難ですが,とりわけ若くない場合はなおさらです。同じようなことは,コペルニクスが,地球は不動ではなく,諸天体が地球のまわりを1日に1回まわっているのでもないことを知らせたときにも起こりました。いまの私たちにとって,このコペルニクスの考えがちっともむずかしくないというのは,私たちの心の働き方が習い性となる前にそれを学んだからです。同じようにアィンシュタインの考えも,その新しい概念とともに育ってくる世代にとってはずっとなじみやすいでしょうが,私たちにとっては,想像力の再構成というある程度の努力は避けられないのです。
 地球の表面を探究する場合,私たちはすべての感覚,とりわけ触ることと見ることの感覚(触覚と視覚)を多く使います。科学以前の時代には,長さをはかるのに人体の部分を採用しています。たとえば,'フィート','キュービット',スパン'*1などはこのやり方できめられています。もっと長い距離に対しては,ある場所から別の場所まで歩くのにかかる時間を考えます。私たちは目で距離をざっと判断することを次第に覚えますが,正確さを求めるには触ることに頼ります。さらに触ることこそ,私たちに'実在'感覚を与えてくれるものなのです。あるもの,たとえば鏡像などといったものは触ることができません。これらは子どもたちにとっては謎です。というのも子どもたちの形而上に関する推測が,鏡にうつっているものは'実在'ではないという情報にしばられているからです。マクベスの短剣*2も'見ることはできても感じがわからない'から非実在のものでした。私たちの幾何学や物理学ばかりでなく,私たちの外に存在するものに関する概念も,この触るという感覚に基礎を置いているのです。私たちはこういうこと比喩の中にも持ちこんでいます。たとえば良い演説のことを'内容のある'(英語でsolid)演説といい,悪い方を'内容のない'(英語でgas)演説といいますが,もともとガス(気体)はあまり'実在'とはえないと私たちが感じているためです。
*1: フィートは足(くるぶしから下)の長さ,キュービットは腕尺で,ひじから中指の先までの長さ,スパンは親指と小指とを張った長さ,にもとづいている。
*2: シェィクスピアの4大悲劇の1つの『マクベス』に出てくる。将軍マクベスが3人の妖女の魔法にかかり,'行末は王になる人'とみずからをきめこんで,城内にやってきた王を殺そうとする。その場面の前(第2幕第1場)に
 …これは短剣か,おれの目の前に
 柄(つか)を此方へ向けて見えるのは。さ,捉(つか)んでやろう。捉まらない。が,目には見えている。
 お前は実物ではないのか,不吉なまぼろし,目には見れども手に取られず。それともお前は心の短剣か。熱にうかされた頭脳から出たまがいものなのか。・・・(野上豊一郎訳,岩波文庫)


 気球から祭りの夜を観測すれば

 宇宙を研究するさい,見ることを除いてすべての感覚が締め出されています。太陽に触ることはできませんし,そこまで行くこともできません。また(つい最近まで)月を歩きまわれなかったし,ましてや,すばる星にものさしをあててみることもできません。それにもかかわらず,天文学者たちは,地球上で役立つことがわかっている幾何学と物理学とを,なんらためらうことなく宇宙にあてはめて来たのですが,もともとその幾何学と物理学とは,触ることと移動することに基礎を置いていたのです。そうすることによって,アインシュタインが一掃するときまで,苦労の種をみずから背負いこむことになったのです。けっきょく,はっきりしてきたことは,私たちが触るという感覚から学んだ多くのことが,実は非科学的な偏見なのであって,そういう偏見は,真の世界像を得るためには拒否されなければならないということです
 いったい地球上のものごとに興味を持っている人間にくらべて,天文学者がどのくらい制約を負っているのかを知るには,1つのたとえが役に立つでしょう。いま一時的に無意識になる薬をあなたが服用し,さて目覚めたときのあなたは記憶力を失っていて,ただ推論する能力だけはある,と仮定しましょう。さらに,あなたが気を失っている間に気球に乗せられて,気づいたときには暗い夜空を――イギリスにいるならば11月5日の夜,アメリカならば7月4日*3の夜を――風のまにまにただよっている,と仮定しましょう。すると,あなたには,地上や汽車や飛行機からありとあらゆる方向に打ち上げられる(→地上や汽車やあらゆる方向に進む飛行機から打ち上げられる/traveling するのは花火ではなく飛行機ではないか?)花火が見えるはずですが,なにしろ暗いので地面や汽車や飛行機は見えません。としたら,そういうものからどんな種類の世界像を組み立てるでしょうか? 恒常不変なものはなにもない,すなわち,ただあるのはつかの間の閃光だけで,そのはかない生存期間中に,まことにもって複雑怪奇なカーブを描いて虚空を移動する,と考えることでしょう。あなたはこれらの閃光に触ることはできません。ただ見るだけです。こうなれば明らかにあなたの幾何学,物理学それに形而上学は,通常の人間たちのそれとはまったく違ったものになるでしょう。かりに通常の人間があなたと気球に乗り合わせていても,あなたには彼のいうことを了解できないでしょう。しかしほかならぬアインシュタインが一緒なら,今度こそ,あなたは普通の人よりもはるかにたやすくアインシュタインの言うことがわかるでしょう。というのも(気球上の)あなたは,多くの人の理解を妨げているいくたの先入観から解放されているからです。
*3:イギリスの11月5日は, Guy Forkes Day(1605年11月5日,議事堂を爆破し,ジェームズ1世と議員の殺害を企てた旧教徒による火薬陰謀事件があったが,その首謀者ガイ・フォークスの奇怪な像をつくり,子どもたちが町内を引き回して夜焼き捨てるお祭り。)アメリカの7月4火は,Independence Day, つまり,独立記念日(1776年)である。
* 左写真は,邦訳書の口絵(共同通信社提供)



Everybody knows that Einstein did something astonishing, but very few people know exactly what it was that he did. It is generally recognized that he revolutionized our conception of the physical world, but the new conceptions are wrapped up in mathematical technicalities. It is true that there are innumerable popular accounts of The Theory of Relativity, but they generally cease to be intelligible just at the point where they begin to say something important. The authors are hardly to blame for this. Many of the new ideas can be expressed in non-mathematical language, but they are none the less difficult on that account. What is demanded is a change in our imaginative picture of the world --a picture which has been handed down from remote, perhaps pre-human, ancestors, and has been learned by each one of us in early childhood. A change in our imagination is always difficult, especially when we are no longer young. The same sort of change was demanded by Copernicus, when he taught that the earth is not stationary and the heavens do not revolve about it once a day. To us now there is no difficulty in this idea, because we learned it before our mental habits had become fixed. Einstein's ideas, similarly, will seem easier to generations which grow up with them; but for us a certain effort of imaginative reconstruction is unavoidable.


In exploring the surface of the earth, we make use of all our senses, more particularly of the senses of touch and sight. In measuring lengths, parts of the human body are employed in pre-scientific ages: a 'foot,' a 'cubit,' a 'span' are defined in this way. For longer distances, we think of the time it takes to walk from one place to another. We gradually learn to judge distance roughly by the eye, but we rely upon touch for accuracy. Moreover it is touch that gives us our sense of 'reality.' Some things cannot be touched: rainbows, reflections in looking-glasses, and so on. These things puzzle children, whose metaphysical speculations are arrested by the information that what is in the looking-glass is not 'real.' Macbeth's dagger was unreal because it was not 'sensible to feeling as to sight.' Not only our geometry and physies, but our whole conception of what exists outside us, is based upon the sense of touch. We carry this even into our metaphors: a good speech is 'solid,' a bad speech is 'gas,' because we feel that a gas is not quite 'real.'


In studying the heavens, we are debarred from all senses except sight. We cannot touch the sun, or travel to it; we cannot yet walk round the moon, or apply a foot-rule to the Pleiades. Nevertheless, astronomers have unhesitatingly applied the geometry and physics which they found serviceable on the surface of the earth, and which they had based upon touch and travel. In doing so, they brought down trouble on their heads, which it was left for Einstein to clear up. It turned out that much of what we learned from the sense of touch was unscientific prejudice, which must be rejected if we are to have a true picture of the world.

An illustration may help us to understand how much is impossible to the astronomer as compared with the man who is interested in things on the surface of the earth. Let us suppose that a drug is administered to you which makes you temporarily unconscious, and that when you wake you have lost your memory but not your reasoning powers. Let us suppose further that while you were unconscious you were carried into a balloon, which, when you come to, is sailing with the wind on a dark night―― the night of the fifth of November if you are in England or of the fourth of July if you are in America. You can see fireworks which are being sent off from the ground, from trains, and from aeroplanes travelling in all directions, but you cannot see the ground or the trains or the aeroplanes because of the darkness. What sort of picture of the world will you form? You will think that nothing is permanent: there are only brief flashes of light, which during their short existence, travel through the void in the most various and bizarre curves. You cannot touch these flashes of light, you can only see them. Obviously your geometry and your physics and your metaphysics will be quite different from those of ordinary mortals. If an ordinary mortal were with you in the balloon, you would find his speech unintelligible. But if Einstein were with you, you would understand him more easily than the ordinary mortal would, because you would be free from a host of preconceptions which prevent most people from understanding him.