書評:土田杏村「ラッセル氏の『産業文明の前途』」
* 出典:『文化』v.6,n.4(1924年2月号)pp.41-50.* 改造社(編訳)『産業文明の前途』(改造社,1923年2月)について
* 原著:The Prospects of Industrial Civlization, 1923.
* 土田杏村(1891~1934:右下写真): 評論家/1918年京大文卒。西田幾多郎に師事して哲学専攻,大正中期には文化主義を提唱<
ラッセル氏の新著
バアトランド・ラッセル氏は最近に『産業文明の前途』(B. Russell, The Prospects of Industrial Civlization, 1923)なる一著を公刊した。但し此れはラッセル氏個人の著作では無くて,ドラ・ラッセル夫人との合作である。「此著は二人で討究を試みた産物であるから,其中に含まれる思想は,別々に署名することの出来ないものである。」と序文に書いて二人の連署をしてある。
ラッセル氏が東洋へ来られた頃からの著作としては,即ち『ボリシェヴィズムの実際と理論』(The Practice and Theory of Bolshevism, 1920)以後のものとしては,『精神の分析』(The Analysis of Mind, 1921),『支那の問題』(The Problem of China, 1922),『自由思想と公的宣伝』(Free Thought and Official Propaganda, 1922)(此著に就いて私に一昨年の十二月即ち第五巻第一号「北窓抄録」中に書いて置いた。)の著がある。併し其等は何れもラッセル氏の纏めた社会思想の著書で無い。ただ一つ『自由思想と公的宣伝』は,甚だ小さなものではあるが,ラッセル氏の冷静なる,しかし叛逆的熱情のあふれた論文であって,我々を鼓舞するところ少なく無い。ラッセル氏のすべての論文の中でも此れはよいものであって,社会問題に理解の薄い人に最初に読ますには,此著はクロポトキンの『青年者への訴』(Kropotkin, Appeal to the Young)などとともに,最も適当したものであろうと思う。併し纏まった形の相当に大きな著作としては,今回の『産業文明の前途』は氏の著作の中でも重要なる地位を占める『社会改造の原理』『自由への途』以後最初の労作であって,氏の社会思想を知ろうとするものは,是非此の三著に就かなければならない。
其思想の特色
我々が此の新著を開いて第一に感ずることは,ラッセル氏の社会思想が従来よりも一層複雑となったことである。最も純粋なる形の氏の思想は『自由への途』に求められる。『産業文明の前途』の思想は其れよりもずっと多岐複雑であり,且つ実際的,事実的である。アナキズムだとかマルキシズムだとか,或はギルド社会主義だとか簡単に其の何れかの範疇の中へ其れを押し籠めることが出来ない。併しこうした傾向は全体として近来の社会問題の著書に見られる一つの特色である。大戦後に起った社会思想は何れも甚だ純粋の理論形式を持って居たけれども其後事実の問題と接触するに随い,何れも多大の修正が加えられ,具体性を増し簡単に其等へ何れかの範疇を適用することは出来ない様になった。其の最もよい例はボリシェヴィズムの所謂新経済政策であろう。新経済政策はマルキシズムに反するものだとは言えない。併し其れには従来のマルキシズムに無かったものが,歴史的事実の中から圧迫して来て,其中に潜入した。ラッセル氏の新著には露西亜と支那との観察が大いなる影響を与えて居る様に見受けられる。産業未発達の状態にある二国の社会状態を直接に観察したことは,ラッセル氏に最もよい思索の問題を与えたものであろう。
ラッセル氏は私の親しさを感じて居る思想家の一人である。人間には其れ其れ動かすことの出来ない根強い傾向があり,其れが常に,衝動となって発揮せられ,理性により合理化せられろものと考えられるが,其の根本動向はいかなる理性によっても根抵より変化せられることは無いであろう。其の意味に於て各思想家の判断には,其れ其れの典型があり,其の典型を異にするものの判断には親しさが感ぜられない。其の意味に於て私は,ラッセル氏の批判の何れにも同感出来る。社会問題の批評としては,今後も私は,余りに遠く氏と途を隔てることはあるまいと思う。今回の新著を読んで見ても,私はやはり全然といってもよい位に氏の意見に同感することが出来たのである,
此著は実は論文集であって,其の各章は大抵何れかの雑誌に公表せられたものの様である。併し『社会改造の原理』の様に飛び飛びの議論をしたものでも無く,全体には一貫した組織があり,雑誌に発表せられたものも著書としての連絡の取れる様に修正が加えられて居る。我国の雑誌『改造』に公表せられた章も幾つか見えるから,我国の読者には既によく知られた議論も含まれて居る。
私は次に其の各章の趣旨を略記し,注目すべき意見を断片的に紹介して置こう。
政治力の四形式
序文の中で氏は,『現時の重要なる事実は,資本主義と社会主義との間の葛藤では無く,産業文明(土田私注:工業文明という方がよく分かるであろう。)と人間性との間の葛藤である。」と断言して居る。其点に於て氏の思想は,英国内ではペンティイ氏の意見と最も多くの共通点を持つもののように見受けられる。資本主義であろうが社会主義であろうが,産業文明の機械性が人間性を支配する間は,其処により大なる問題は残る筈であって,若し人間が運命的に産業文明を離れ得ないものであるとすれば,我々は先づ其の問題より始めて何等かの解決法を考慮すべきであろう。
第1章。「現時の混沌の原因』。ラッセル氏の文明史観は稍々(しょうしょう=やや)悲観的の着色を帯びて居る。人間の文明は,誕生,生長,頽廃(退廃),死と,其の経過を幾度か繰返し行くものであった,現時の文明も亦其の自然の途を追えば,やはり此の運命を免れ得ないものの如くに見る。現時の文明の特色を此れまでのものと比較すれば,二つの点で進み(進歩)が見られる。第一は知識の増進(the increase of knowledge)であり,第二は有機組織の範囲,特に国家の其れに於ける生長(the growth in the extent of organization, more particllarly of state)である。産業主義と機械的発明とから社会的連帯性が発達し,社会の有機組織の範囲は生長を続けて行くのであるが,そうしたものも要するに科学の生産物であり,科学の進歩,即ち人類の知識の進歩は我々社会を此処まで進めて来た主たる動力であった。併し其の知識が進んで来た為め,世界は種々の葛藤が起った。民衆は最早彼等の父祖の爲したところを踏襲せす,自由に彼等の権利を主張する。叛逆が至るところに起る。女性は男性に,被圧政民族は其の圧政者に,労働は資本に,其れ其れ叛旗をひるがえす世界には,成長しつつある力と減退しつつある力とがあるが,現時の成長しつつある力の中最も重要なるものは産業主義(Industrialism)と国民主義(Nationalism:国民国家主義,民族国家主義)である。『此等両者の背後にあって,共れ自体非政治的のものではあるが,なおすべての政治的現象を統制しつつあるものは科学である。」
産業主義と国民主義とは,共に二つの形式を持つ,一つは勢力の把持者の爲めのもの,他は自己自身を解放する為めに葛藤しつつある人達の爲めのものである。産業主義の二つの形式は資本主義と社会主義であり,国民主義の二つの形式は帝国主義と非圧迫民族の爲めに自由を確保しようとする企て,即ち,民族自決(self-determination)主義とである。此くして我々は世界に於ける大いなる政治力として,右の四つの形式を持つ。『世界に於ける混沌は此等の力の間の巨大なる闘争形式を取る。即ち,資本主義と帝国主義とが一方にあり,社会主義と自決主義とが他方にある』(1)
*(1)Russell, op. cit., p.20
産業主義の条件
産業的資本が増進すれば,欲望満足の一時的縮少を起す。産業化しつつある共同社会は,将来に於けるより大いなる欲望満足の爲めに,常に現時の満足を見合わせつつある。産業主義は共同社会に次の性質の要求を発する。(1)共同の為事に従事する労働者の大いなる組織を得ることの可能性が其処にはなければならない。(2)共同社会の労働を差圖(指図?,差配?)することの出来る人達が,将来のより大なる富の為めに,悦んで現時の満足を差し控えること。(3)此く将来に延期せられた満足が其の報酬を得ることを確保する爲めに十分秩序的であり,且つ安定的なる政府が必要であること。(4)熟練労働者の多数が必要なること。(5)科学的知識。 此の最後のものは,以上五つの条件の中,最も重要である。
産業未発達の国
産業的発達の幼稚なる国に於ては,産業の経済的組織は常に寡頭政治的である。そして専制的に其れを運用して行く。其れは社会制度が資本主義的なると社会主義的なるとにより相違の無いことであり,前者の場合には資本家が其の専制を爲し,後者の場合には国家の役人が其れを爲す。ボリシェヴィキは現に其の実例を示したが,印度でも支那でもやはりそうなるより外に爲方は無い。産業自治が早くから行われて居たとすれば,労働者は生産方法を管理するから,随って産業革命なるものは決して起らなかったことであろうと思う。民衆の知識が進むに随い,前に述べた二つの形式の闘争が起る。若し其の闘争に於て社会主義が勝利を占め,資本主義制度を禁止し得たとしても,其の闘争の爲めに社会のキャタストロオフが起きたとすれば,産業文明は直ちに退歩し,文明の建築は破壊せられる。其れ故に社会主義が勝利を占めて言う如き物質的栄福を民衆に与え得る爲めには,産業の混沌が起ってはならないのである。階級闘争をめぐって政治的の争いを爲すことは,勿論必要ではあるけれども,其れよりもより重要なることは機械の発達,熟練した産業的習慣,即ち産業主義の問題であり,産業的に発達しない国は,一方が資本主義的,他方が社会主義的であったにせよ,なお産業的に発達した国に類似するよりは,お互い同志の間に多くの類似点を持つのである。(ラッセル氏に,先づ露国を見,次に支那を児て,特に此の感を深くしたのであろう。)
『国民主義は群本能の発達したものである。』(Nationalism is a development of herd-instinct.) 其れ故に資本主義と社会主義との間の闘争と性質の違った力であり,我々は現時の世界に此の力の動きの強大なることを無視し得ない。
産業主義の傾向
第二章。「産業主義の固有傾向」 産業主義が人間の生活に如何なる影響を与えるかを論じた章であった,大略は世の文明批評家の主張に同じだが,なおラッセル氏にはラッセル氏特有のニュアンスもある。
前章に於て産業主義の存在の爲めの欠く可からざる条件を五つほど挙げて置いたが,本章では其の言葉を要約して書いてあるから,参考の為め其儘次に書いて置く。
large organization of workers engaged upon a common task; willingness in the directors of industry to forgo present goods for future profit; an orderly and stable governmnet; skilled workers; and scientific knowledge, op. cit., pp.33-34.産業主義の本質をラッセル氏は次の様に言う。
「産業主義の本質は其れ自身では消費せられることの無い商品であって,消費せられる他の品物の生産に単に手段となるという様な,そうしたものの上に,多くの結合せられた労働を消費することにある。此の基礎的性質から,すべて他の産業主義の特質が生ずる。(1)」普通教育とともに他の重大なる事柄が起る其の第一は,政治的デモクラシイであって,教育が未発達なるときに,其の傾向は起って来ない。此処にデモクラシイと言ったのは,すぺて普通なる男女が平等に基本的なる政治力ヘ参画する制度を簡単に指したのである。
「産業主義の発達することにより,人間は自然の束縛から軽減せられ,より自由なることが出来る。併し其れは単に人間全体として言われることであって,個々人としての人間は却て自由では無くなり,個人の上に加えられる共同社会の圧力は前よりも増大するのである。
教育を持った人間の数の増加することは,産業主義の発達に伴う。何故なれば読み書きの出来る労働者は,其れの出来ない労働者よりも,より能率的だからである。其れ故にすべての産業国は義務教育の強制を採用した。教師や生徒の時間が教育の爲めに使用せられて,直前に必要なる為事の爲めに使用せられないことは前に述べた特色に合致する。其れ故に教育の増進は産業主義の固有なる傾向の一つとして挙げられ得る。(2)」
* (1)op. cit., p.34. (2) op. cit., p.41
産業主義は既に言った如く,共同社会との関係に於て個人の自由を減少せしめる。其れ故に美術や小説を作ろうとする様な個人的感情は衰えて,戦争衛生(?)及び普通教育を起そうとする様な集団的感情を盛んならめしる。
個人的感情が頽廃すれば,其れと同時に人間の個性が減退する。人間は其のすべての点に於て同じ型を持ったものになる。
個性が久しく機械的に圧迫せられて居り,個人的ロォマンスの爲めに飢えた本能は其の出口を得ることが出来ない時には,何等か強烈な刺戟を欲する様になり,何等か漸進的なる,より健全なる方法よりは,革命的なる運動を欲する傾向を増加せしめる。
家庭破壊の傾向
産業主義の最も重要なる結果は,婦人の労働より来た家庭の破壊である。(ラッセル氏は,大体此著に於て,婦人問題にも多くの注意を払い,殊に此の家庭破壊の問題を,産業主義の結果の中の「最も重要なる」(most important)ものと言ったりしたことは,氏個人の家庭生活の影響であろうと思う。従来は其の傾向が其れ程強くは無かった。ミルやゴドウインやコントの歴史と比較して,ラッセル氏の歴史にも興味のある観点であろうと思う。)女性労働の結果として,第一には女性を経済的に独立せしめたから,女性は従来の如く男性に服従することが無くなった。第二には,女性が其の子女を養育することが困難となった。ラッセル氏は此くして欧洲大戦後殊に著しい傾向となった家庭の破壊に就き,興味深い,可成りに詳しい解剖を試みて居る。「女性が経済的に独立して居る場合には,普通の女性は古風の結婚の制御には服従しようと欲せず,且つ一人の男性にいつまでも忠実であることを欲しないことを,経験は示した。」 家庭の破壊は全人口を通しての一様性の傾向を一層増加せしめた。
宗教は,伝統的の形式では産業主義と結合することは困難である様に見えた。民衆は至るところ無宗教と唯物論とに赴く。宗教的感情は,人間が直接に自然の威力と接触する時に起るものであるから,自然より自由となった産業主義の現社会に於て,工場労働者は宗教的感情を保留し得ない。
見解の功利主義化
産業主義の進歩と共に,人間は物の使用価値を尊び,其れの内在的化価値を尊ばない様になる。産業的共同社会にあって,人口の大部分は消費せられる商品を作らず,ただ其等の消費貨物を生産する手段に使われる機械や設備を作る。
「此れは人々をして芸術的であるよりは寧ろ功利的ならしめるという所以のものは,彼等の生産物は其れ自身に何等の直接的なる人間価値を持たないからである。(1)」
「量は質以上に値打ちづけられ,メカニズムは其れの使用以上に値打ちづけられる。(2)」人間生活の重要なる部分は経済的部分であると考えられる様になった。何故なれば経済的部分は生産と利用とに関した部分だからである。人間の見解の功利主義化(utilitarianizing of men's outlook)は産業主義から分離せられることの出来ないものである。ラッセル氏は産業主義の此の固有傾向に対し,次の如き批評を加えて其章を終って居る。
「人間の真の生活は,彼の腸に食を充たし,彼の身体に衣を着せる爲事に於て成立するのでは無く,ただ芸術と思想と愛とに於て,及び世界の科学的理解に於て成立するのである。若しも世界が再生せらるべきであるならば,其れは此等のものに於てであり,すべてが其のに関与することの可能でなければならない物賛的貨物に於てだけでは無い。(3)」〔未完〕
*(1) op. cit., p.48 (2) op. cit., p.49 (3) op. cit., p.50