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市井三郎(訳)『社会改造の原理』
(河出書房新社版『世界の大思想』v.26,1969年8月刊。pp.1-155.)

(原著:Principles fo Social Reconstrucition, 1916)
第3章「制度としての戦争」冒頭
War as an institution

 大部分の国民がたいていの時には平和である、という事実にもかかわらず、戦争はあらゆる自由な社会の恒久的な制度の一つになっている。それはちょうど、議会がつねに開会しているわけではない、という事実にもかかわらず、その議会がわれわれの恒久的な制度の一つであるのに似ている。
 これから考察しようとするのは、恒久的な一制度としての戦争なのである。つまり、なぜ人々がそのような戦争を我慢しているのか、またどうして人々が、そのような戦争を我慢すべきでないか、さらに人々が今後、戦争を我慢しないようになることには、どれほどの希望がもてるのか、またさらに、人々が戦争を廃棄したいと願うならば、どのようにすれば廃棄できるのか、といったことを考察したいと思う。
 戦争とは、二集団のあいだの紛争であり、その集団のおのおのは、みずからが欲するある目的を成就するために、相手の集団をできるだけ多く殺傷しようと試みる。その目的とは、一般的にいえば権力あるいは富のいずれかである。他の人間たちに権威を行使することは一つの快楽であり、他の人間たちの労働の所産で暮らすことも、一つの快楽なのである。戦争における勝者は、敗者よりもそれらの喜びをより多く享受することができる。
 しかし戦争というものも、他のあらゆる自然的活動と同じように、意識的にいだく目的によって促進されるというよりはむしろ、闘いという活動それ自体への衝動に、うながされて起こるものなのだ。きわめてしばしば、人間はなんらかの目的を欲するのだが、当の目的をそれ自身の故に欲するのではなくて、当の人間の性質が、その目的に通じるような行動を要求するが故に、そう欲するにすぎないことが多い。そして戦争の場合には、まさにそうなのである。戦争によって成就されるはずの目的は、それが達成されてしまってからそう見えるよりも、まだ成就されていない時の方が、はるかに重要なものに思えるのだ。なぜなら戦争それ自体が、われわれの性質の一側面を満たすものだからである。もし人々の行動が、現実に幸福をもたらすであろうものへの欲望から派生するとすれば、戦争に反対する純粋に理性的な諸議論が、とうの昔に戦争をなくしてしまっていたであろう。戦争が抑制することの困難なものである理由は、戦争が衝動から派生するものであり、戦争からひき出されるはずの利益をあれこれ打算する、といったことに主たる動機がないからである。・・・。

 In spite of the fact that most nations, at most times, are at peace, war is one of the permanent institutions of all free communities, just as Parliament is one of our permanent institutions in spite of the fact that it is not always sitting.
 It is war as a permanent institution that I wish to consider:
why men tolerate it: why they ought not to tolerate it; what hope there is of their coming not to tolerate it; and how they could abolish it if they wished to do so.

 War is a conflict between two groups, each of which attempts to kill and maim as many as possible of the other group in order to achieve some object which it desires. The object is generally either power or wealth. It is a pleasure to exercise authority over other men, and it is a pleasure to live on the produce of other men's labour. The victor in war can enjoy more of these delights than the vanquished.
 But war, like all other natural activities, is not so much prompted by the end which it has in view as by an impulse to the activity itself. Very often men desire an end, not on its own account, but because their nature demands the actions which will lead to the end. And so it is in this case: the ends to be achieved by war appear in prospect far more important than they will appear when they are realized, because war itself is a fulfilment of one side of our nature. If men's actions sprang from desires for what would in fact bring happiness, the purely rational arguments against war would have long ago put an end to it. What makes war difficult to suppress is that it springs from an impulse, rather than from a calculation of the advantages to be derived from war.