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松本悟郎「『バートランド・ラッセル論集』解説」

* 出典:松本悟朗(他訳)『ラッセル論集』(日本評論社,1921年2月刊。21+4+617 pp.)
* 原著:Justice in War Time; Principles of Social Reconstruction; Political Ideals; Roads to Freedom.
* 松本悟朗については、美作太郎「バートランド・ラッセル-『社会改造の原理』を読んだ頃」の第2章(訳者・松本悟朗について)及び、金沢篤「忘れえぬ人々(3)―松本悟朗氏の生涯と著作(2)」を参照してください。



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 バートランド・ラッセルが今日世界的盛名を博すに至ったのは、専ら社会改造論者資本主義文明の批評家としてであるが、彼の特色が果たして此の方面にあるかどうかは、甚だ疑問である。
 或る人は此の方面に於ける彼の価値を甚だ少なく見積って居る。その理由は、彼は此の方面に於て何等具体的に明確な提案を有して居ない、彼の語る所は英国のギルド社会主義者始め一般の実際運動家等が既に論じ、既に実行しつつあるところを詩的にまた、哲学的に取り扱って居るだけで、甚だしく現実的徹底味を欠いて居るというのである。彼れの本領と価値とは、専らその新数学者として、新論理学者として、また科学的哲学者としての点にあるので、社会改造論者としての彼れは寧ろ是一時脱線したものに過ぎないというのである。
 私も亦、哲学者としての彼れの極めて独自なる立場、極めて自由闊達なる態度、極めて豊富なる創造的天才を思う時、社会改造論者としての彼れの甚だ見劣りするのを感じない訳には行かない。後者の立場に於ける彼れは可成りに不徹底で影の薄いものである。明確さと厳密さと切実味とを欠いて居る。公明ではあるが適實(実)でない。包括的ではあるが組織的でない。論理的ではあるが剴切(がいせつ)ではない。暗示的であり刺激的ではあるが整正的確でない。彼れの哲学があくまで科学的、あくまで論理的、またあくまで尖鋭清逸なるに比すれば、そは余りに常識的であり、余りに茫漠として居る。例えば彼れが吾人の衝動を分って、所有衝動及び創造衝動の2種となせるが如き、或は漫然、自由といい、正義といい、個性というが如き、又或は、本能といい、智性といい、霊性というが如き、孰れも(いづれも)余りに常識的であり、非科学的である。殊に彼れが哲学上最も代表的なる主知主義者であり、論理主義者でありながら、実生活論を行るに当たっては、人間行爲の動機を専ら衝動に置き、或は漫然ベルグソン流の創造意志を説くなど、可成りに態度の徹底を欠いて居るとも見れば見られるのである。(之に就いては後に説こう)

 然しながら、一度び吾人の観点を替えて見るならば、事態は自ら一変して来る。かつてカントは、その不朽の大著『純粋理性批判』に於いて、吾人の認識は現象の世界に止まる事、物爾自の不可知なる事を説いた。然るに後『実践理性批判』を著すに及んで、彼れは神の存在を説き、霊魂の不滅を説き、或は意志の自由を説いて居る。此れ論理的には明らかに矛盾である。然かも哲学者としてのカントは『純粋理性批判』に依って満足し得たとしても、人としてのカントはそれだけでは満足し得なかったのである。そして理論上否定し去ったところを、実際的要求として再び取り込んだのである。ここに哲学者としての彼れの矛盾又は失敗があるとしても、人としての彼れの面目の躍如たるものがあるではないか。
 ラッセルも亦、哲学者としてはカントの如く、否或は、カント以上に、『透徹で清明で忠実で然かも高踏的で思索的で理知的で冷静であった』かも知れない。然し彼も亦、人間である。人一倍血の気の多い詩人的性格である。それが欧州大戦というような未曾有の大事変に接触して尚且つ冷々然と我独り行い済まして居る事が出来ようか。私は曩きに(さきに)拙訳『社会改造の原理』の序文に於て、次の如く述べた。
然るに今次大戦の勃発は、彼をしてプラトン流の観念(イデア)の世界――「普遍」(universals)の世界より眼を転じて、生命の世界、人間の世界、闘争の世界に凝視を与えることを余儀なくした。スピノザ流の「知的愛」の世界より降下して、衝動的狂乱の渦巻く世界に踏込むことを余儀なくした。そして人間性の痴狂に対するこの驚愕と、現代文明の欠陥に対するこの深省とは、正直にして生一本なる彼れを化して一個の志士たらしむるに至った。彼れは講壇より下って、街頭に立った。今や冷静なる学徒は化して、熱烈なる説法家となった』云々。
 然り彼れは生え抜きの社会問題研究家でもなければ、実際運動屋でもない。彼れの所謂「宇宙の市民」として、冷かに真理の聖壇を守護して居た学徒である。それが未曾有の歴史的事変に際会して、翻然として一時その衣を更えたのである。ここに彼れの人格の床しさ、懐しさがあるではないか。専門的社会改造家や実際運動屋の立場からのみ彼れを見たのでは、真にその価値を捕らえる事は出来ない。彼れにはコールやホブソンやその他進んだ社会改革家等の徹底味はないかも知れない。然し彼れにはそれ等の人々よりも遙かに高く、遙かに深い立場がある、遙かに広く、遙かに豊かな背景がある。のみならず総て有る方面に亘って、最新の説を網羅して居り、全体として自ら一貫の脈絡を存して居る。ここに遉がに(さすがに)、大思想家ならでは及び難い包容力と普遍性とを現わして居る。その部分部分に就いての不徹底は、全体としての含蓄と圧力と暗示とに依って優に補われる。
 若しそれ彼れの文章に至っては、品位あり、色彩あり、豊潤にして繊細、切々として吾人の心絃(しんげん)に触るるものがある。蓋し是彼れの高雅なる人格の響きである。

 更に吾人の力説を要するは、彼れの態度である。総て有る一身の利害を賭して、あくまで真理の爲めに戦わんとするその勇敢なる学徒的態度である。J. ミルの所謂『我れ真理を追求するの故を以て神若し我れを地獄に墜とすならば、我れは甘んじて地獄に墜ちん』底(ママ)の哲人的気概である。
 今次大戦勃発に際して、平素は一向に真理を追う者の如く説きながら、俄かにその態度を一変して、盲目なる自国弁護者・戦争弁護者とならなかったものは殆んどない。オイケンでも、ベルグソンでも、ヘッケルでも、メーターリンク(メーテルリンクのこと?)でも、その他社会主義者でも、サンデイカリストでも、皆そうであった。唯だ僅かに、ロマン・ローランやバーナード・ショーや我がバートランド・ラッセルのみが、敢然世界の俗論に反抗して起った。殊にラッセルの態度は、最も大膽(大胆)にして不屈不ぎょう(不ぎょう不屈)なるものであった。彼れは大戦勃発の当初、端西(スイス)の『国際評論』に寄せたる一文『欧州の知識階級に訴う』(『戦争と正義』Justice in War TIme, 参照)の中に次の如く述べて居る。
『余は学者達が偏頗(松下注:へんば 偏ること)にも、自己の思想と言語に着色して、彼等の教養が特に彼等に適して居た人類に対する奉仕の改造を行うべき機会を失したと考えざるを得ない。真理は仮令それが如何なるものであるにしても、英国、佛蘭西、独逸、露西亜及び墺地利(オーストリア)に於ても同一である。真理は国民的の必要に妥協しようとはしない。それは本質に於て中立的である。真理は感情と憎悪の刺戟の声以外の別、乾坤(けんこん)に超然として、真理を探求する人々に向って、迷妄の世界を伴える悲劇的なる闘争の皮肉を啓示している。日常の生活に真理の追求を以て任としている学者達は、此時にこそ味方の間違って居る事は何であるか、敵の真理である事は何であるかを見て、自ら真理の代弁者となるべきであった。……彼等は何等此等の事に触れなかった。国家に対する忠順は、真理に対する忠順を一掃して了った。思想は本能の主人公にはならずして、其の奴隷になって了った。真理の殿堂の堂守は、真理を偶像崇拝者に売って、卒先して偶像の崇拝を促進したのであった。』
 彼れは此の如く一般俗学者の態度を糾弾すると共に、堂々として自己の非戦論、非愛国論を宣揚したのである。爲めに彼れは大学を追われ、禁足され、最後に投獄されたのである。然かも彼れは、当局の迫害益々厳烈を加え来たった時に断乎として曰く、『余は如何にしても余の精神的自由の一片をも渡すことは出来ない。肉体的自由は人間から奪い去る事が出来るかも知れぬ。然し、精神的自由は、人間生得の権利である。そは彼れ自身の協賛なくしては世界の総て有る軍隊と政府とを以てするも,奪い去る事の出来ないものである』と。此の壮烈なる信念と大胆なる覚悟とは、孔子の如く、ソクラテスの如く、ブルノーの如く、ガリレオの如く、衷心より真理の火に燃えて居る者でなければ断じて抱き得るものではない。吾々は彼れの言論以上に、先づその信念と態度とに対して、衷心の敬意を捧げざるを得ない。

 さて私は、ここに収めたる訳書の性質上、彼れの哲学に就いて述べる事を暫く控えて置く。唯だ数言を費しておきたいのは、彼れの所謂脱線――私をして言わしむれば、彼れの尊き脱線が、果して全くの脱線であるか否かという事に就いてである。
 ラッセルの哲学は、数学的原子論或は論理的原子論などと称せられるる。又別方面から、科学的哲学或は数学的哲学などとも称せらるる。が認識論的の立場から見れば、一種の新実在論であって、米国のベリー一派の感覚的実在論に対して、論理的実在論又は、観念的実在論とも称すべきものである。此の点に於て彼れの立場又は傾向は、明らかにリアリズムである。此のリアリズムの精神が一度び人生問題の方面に働いた時、それは自然主義となり、本能や衝動の肯定となり、個性や意欲の肯定となり、有るがままの事実の尊重となる。彼れがあくまで人間の個性又は独創性の尊重を説き、事物の自然なる発展自由なる展開を説き、一切の不自然なる圧迫や支配や強制に極力反抗して居るのは、盖し(けだし)之が爲めである。哲学上の主知主義者が一度び人間問題を取扱うに当たって、感情や意志や欲望を重視する例は、哲学史上多々見るところであるが、それが爲めに直ちにそれを矛盾なりという事は出来ない。認識機能としてあくまで知識を重んずるにしても、人間活動の強力なる動因又は要素としての本能なり意志なりの事実上の力を認める事は、必らずしも矛盾だという事は出来ない。ラッセルの場合に於ても亦然りである。否寧ろ、彼れが一個のリアリストたる事を思えば、それは寧ろ当然の過程であるとも言えよう。
 殊に真理を求め求めて一歩も譲らざる科学者的嚴正、高処に立ちて一切の現象を全的に把握せんとする哲学者的態度、区々たる利害や私情を離れて、あくまで正常なる観察を下さんとする学徒的熱誠、真理の爲めには破壊をも革命をも厭わざる新人的独創的態度、此等は凡て彼れが哲学者として、その哲学的事業の上に示現し、確保したところのものである。斯く観来たれば、哲学者としての彼れと社会改造家としての彼れとの間には、依然一貫の態度を認め得べく、直ちに後者を以て前者よりの甚だしき脱線又は豹変なりという事はできないのである。

 彼れの社会改造意見を約説する前に、簡単に彼れの閲歴を述べておこう。バートランド・ラッセルの父は、故アンバーレー卿で、その(=ラッセルの)祖父は、2回迄も英国の大宰相(=総理大臣)に挙げられた有名なるロード・ジョン・ラッセルである。而して現在のアール・ラッセルは、彼れの兄で、彼はその推定相続人である。彼れは1872年5月18日、モンマース州のトレレックに生れた。その出身学校は、ケンブリッジ大学のトリニティー・カレッジで、そこで彼れは、数学や哲学を研究した。後彼れはその特待校友に推され、又その講師となった。更にローヤル協会(王立協会)、アリストートル協会(松下注:アストテレス協会は、アリストテレスを研究する学会ではなく、英国を代表する哲学会のひとつ)、倫敦(ロンドン)数学会の会員に挙げられ、殊に倫敦数学会の会長ともなった事があり、仏蘭西に、米国に、屡々講演を試み、学者としての総て有る名誉を擔(担)った。1915年には、米国のコロンビ大学から金牌を贈られたが、之は哲学界に偉大なる貢献をなした人々に対して、5年おきに与えらるる賞牌である。

 彼れの前半生は、如何にも学徒らしき坦々たる生活であった。然るに大戦勃発後、彼れの不ぎょう不屈なる戦論は一般社会の反感を買い、其筋の怒りを招き、ここに波瀾万丈の悲劇的生活を展開するに至った。彼れの言論は圧迫され、彼れの旅行は禁ぜられ、学校からは放逐された。而して、徴兵反対に関する一パンフレットを公けにするに及んで、英国政府は遂に彼れを6ヶ月の禁固に処したのである。刑期満ちて、今年(1919年)1月、彼れが出獄した時には、既に大戦の幕は閉じられて居た(松下注:これは間違い。ラッセルが出獄したのは、1918年9月のことであり、1918年11月11日終戦記念日の人々の様子を『自叙伝』に記している。)。而して彼れが獄中に於て心静かに『数理哲学概論』(Introduction to Mathematical Philosophy, 1919)の著述を試みたる事は、哲聖ソクラテスの態度にも似て、轉(ママ)た哲人的高風を偲ばしむるものがあるではないか。
 その後彼れが英国労働代表(団)の一行に加わりて、1ケ月余りに亘り、親しく労農露国各地を視察して帰来、その詳細なる視察記を公けにしたる事、最近北京大学の聘に応じて渡支し、目下支那各地に講演旅行を試み居る事は、一般世間の周知するところであろう。

 さて私は、愈々彼れの社会改造意見を語るべき時となったが、詳しくは本書全巻を通読すれば明らかな事であるから、私は唯だ初学者、否初読者の便宜上極めて概括的指示を試むるに止めておく。

 先づ第1に、彼れの衝動説を知っておかねばならぬ。
 彼れは財なるものを大別して2種となし、又それに応じて、吾人の衝動をも2種に分って居る。彼れ説いて曰く。
『財には個人的所有を許すものと、万人が一様に分有し得るものとがある。或人の食物や衣服は、他の人の食物や衣服ではない。もし供給が不十分であれば、或人の所有する所は他の人を犠牲にして得らるべきものである。此れは物質的財に対しては一般に応用の出来ることであり、従って亦、現在の経済生活の大部分に対しても応用の出来ることである。反対に、精神的又は霊的の財は、他人を排除して唯だ1人に専属するというようなことはない。』(『政治の理想』第1章)
 即ち芸術、科学、善意、信仰等は万人に与えて減ずる事なく、多々益々弁ずる底の財である。換言すれば、此等は非占有的、非独占的財である。のみならずそれは与えれば与うる程生長し、増大し行く所の財である。
『此等の2種の財に相応じ、2種の衝動がある。先づ所有衝動と名づくべきものがあるが、それは他に分け与えることの出来ない私有的財を獲得し又は維持することを目的とするものである。此等は集注して財産の衝動を形作る。次には、創造的又は建設的衝動と名づくべきものがあるが、それは秘密もなければ占有もない1種の財を社会にもたらし、且つその使用を有効ならしむるものである。最善の生活とはできるだけ多く創造衝動が働き、出来るだけ少く所有衝動が働く生活である。』(『政治の理想』第1章)
 所有衝動の大弊は、専らその独占欲から生ずるのである。競争、嫉妬、反感、征服、残忍、反逆、戦争、恐怖、阿諛(あゆ)、陰険、罵詈、讒誣(ざんぶ)、中傷、排他等、一切の悪徳は凡てその結果である。殊に忌むべき事は、此の衝動が創造衝動の上に働きかけると、本来包容的、非独占的なるべき筈のもの迄が大いに傷つけられる事で、例えば、『ある有力なる発見をした人は、競争的発見家に対する満幅の嫉妬に燃える』事や、『又若し或る人が癌の治療法を発見し、他の人が肺結核の治療法を発見したとすれば、相互に他の人の発見が誤りに帰することを喜ぶ』ような事である。否、聖者の間にさえも時には嫉妬反目が起るかも知れない。そこで吾々は、出来るだけ創造衝動を活かし、所有衝動を抑制する如き方法を講じなければならない、というのがラッセルの根本の立場である。

 ここから彼れの政治論及び今日の資本主義制度の批評が起って来る。
 先づ後者からいうと、今日の資本主義制度は、その本質に於て、財産の独占又は集注及び権力行使の上に成立って居る。勿論反面から言えば此れ財産及び権力の不公平なる分配である。従ってそこに激甚なる独占的競争がある。競争の上に築かれた社会に於ては、物質的財の獲得に冷淡な者は、赤貧に陥る外はない。斯の如き社会に於ては、名誉と権勢と勇敢とは知者よりも寧ろ富者に与えられる。高潔の士よりも寧ろ手腕家に与えられる。『法律は有てる(もてる?)者が有たざる(もたざる?)者に対する不正を體現(たいげん)しつつ、然かも神聖化される。』 かくして偉大なる創造的天才も、下らぬ生活上の心労や不正なる圧迫の爲めに根本的に傷けられる。即ち、『現代の経済制度は、一切の創始権をごく少数の大資本家の手に集中する。而して資本家ならざる者は彼等が何等かの職業を選んだ場合、ほとんど彼等の才能に就いて何等の選択権も有しない。彼等は、毫も機関を運用するところの権力によらない。……現在に於ては、無資本の人々は常に自分を或る大きな営利団体、例えば鉄道会社の如きものに売りつける。而して彼等はその経営に就いても何等の発言権もないし、……その政策に関しても何等の自由もない。』『此れと全く同一の事が専門的職業家の場合にも起る。恐らく大多数の新聞記者は、その政見に賛同出来ないような新聞の爲めに筆を取って居る。而して富者のみが大新聞を所有し得るもので、富者ならざる者が或る新聞にその意見を発表し、或はそれに興味を感じ得る場合は極めて偶然である。』 かくして今日の経済制度は、大多数者の創造衝動を殺して、徒らに所有衝動を跳躍せしめるように出来て居る。
 ラッセルは、斯くして1種の社会主義的立場を取るに至った。(此れに就いては後に述べよう)
 政治の要諦も亦要するに出来るだけ多く各個人の創造性、独創性を生かして所有欲を減殺する事である。然るに今日の政治は、少数資本家閥の手に大部分権力を与え、それ等の意志か直ちに法律となり、制度となり、組織となって、大多数の者は唯だその盲従を強いられるだけで、何等の発言権も創始権も与えられてない。又今日の国家は、余りに広大で、その機構は容易に一般に領解され難いために、可成にデモクラチックな国に於ても、人はその投票権を如何に行使すべきかを適切に感じ得ない。『彼れは時に有力なる団体と結合して活躍し得るような場合を除いては、恰も天候の如く、単に我慢する外なき、誠に疎隔した没人格の事柄となって了う。』 故に、各人各団体が、凡てその自治権を与えられ、出来るだけ他の干渉を離れて、それ自身の意志を実現し得るような政治的制度を要する。そして今日の如く、政府が凡てに亘って余りに多く干渉し、余りに多く権力を揮う事を止めねばならない。出来るだけ政府の干渉や権力行使の範囲を縮少しなければならない。『政府の権力行使が有利なりとされる場合は、恐らく唯だ1つの目的に対してである。その目的は、社会に於て行使さるる一切の権力を消滅させる』事で、例えば殺人の如き、弱者虐待の如きは、当然政府の権力に依って抑止さるべきものである。
 真のデモクラシーは、政治の理想境であるが、然し今日の如く多数派が少数派を圧迫するというような事は宜しくない。斯の如き画一的精神を排除しなければならない。少数派の要求と雖もそれが正当のものである限り、満足されなければならない。斯くして結局彼れの理想は、或る種の社会主義へ行くのである。

 彼れは所謂社会主義即ち集産主義(マルキシズム)の社会を以て今日の社会よりも遙かに善き社会なる事を信じて居る。蓋しそこにはより公平なる分配が行われ、万人平等の自由と権利とが与えられ、現左見る如き不労所得や労働搾取や赤貧等の事実が無くなるからである。
 然しながら巨細に観察すると、それにも亦多くの欠陥がある。そこでは今日の資本家はなくなるにしても、国家がそれに取って代る。国家が何(ど)んな事を労働者に強制しても、最早彼等はそれに対抗する事が出来なくなる。然かもそれ程国家の権力が強大でなければ、集産社会主義の実行は不可能である。故に此の社会に於ては労働者は資本家の奴隷たる代りに国家の奴隷となるのである。而して個人の自由は今日以上に阻害される。当局官憲は、自分の善なりと信ずる所を以て万人の善となし、不可侵のものとなし、苟もそれに反抗し或は不服を唱えるものは、公敵として圧迫され又は処刑される。之は労農露国の現状を見ても直ちに肯かれる事である。
 然らば無政府主義の社会は怎(ママ)うであるか。無政府主義の社会に於ては、労働の強制という事がない。労働する者もしない者も、悉く必要なだけの財貨の分配に与る(あずかる)。そこには労働の義務がないと同時に又労働に対する経済的報酬もない。然し彼等は必要なる労働は、大多数の人々が自発的に之をなすと信じて居るのである。此の社会に於ては、各人が日に4時間程宛働けば充分で、その程度の労働は健康者ならば自然に要求する。強制に依らずして自ら進んでなす労働は、各人に取っては相当快適なものである。かくクロポトキンなどは信じて居る。此れに対してラッセルは左(次)の如く述べている。
『人間が自ら進んで選ぶ仕事は、常に例外的のものであるに相違ないといえる。必要なる仕事の大部分は、必ず苦痛である。他に楽な仕事があるとしたならば、誰れが好んで(炭)坑夫や大西洋定期船の火夫となるものがあろう。余思うに、多くの必要なる仕事は常に不愉快、若しくは少く共苦痛な単調なものであるに相違ない。それ等の仕事に従事する人々に特別なる特権を与える事は、無政府主義者の制度を仮に実行出来るものとすれば必要である。』(『自由への道』第2篇第4章)
 又ラッセルは無政府主義社会が社会の総て有る強制権が不必要であるとの主張に対して、嫉妬に基く殺人、復讐的犯罪、精神錯乱行爲、野心家の陰謀等の例を挙げて、此等は如何なる社会に於ても強制権なくして防止し得るものではない事を述べて居る。
 サンディカリズムも亦究極に於て無政府主義であるが、階級闘争を以って生命とする此の企ては、少く共或る階級が勝利を占めた場合に、それ自身を擁護する爲めの警察力、諸方面に向って画策命令を発する本部というようなものが必要になり,それがやがて政府の形を成し,結局それ自身の理想を裏切りする事になる、とラッセルは論じて居る。
 斯くしてラッセルは或る程度迄国家(政府)の必要を認め、亦或る程度の強制労働と経済的報酬を認むる産業的自治社会、即ちギルド社会主義の理想に対して大体賛意を表して居るのである。
 尚ここに一言を要することは、貨幣に関する彼れの意見である。彼れは労働報酬や一定の交換の必要上、貨幣又はそれに類似する価値標準の必要を認めて居る。但しそれは1年間有効位の手形のようなものを使用するがよかろうといって居る。蓋し、それに依って、貸幣の多量なる蓄積を防止し得るからである。

 教育に対するラッセルの理想は、斯うである。教育は16歳乃至恐らくそれ以上迄は義務的でなければならない。その後は生徒の自由でそれを続けてもよし、又続けなくともよい。然し少く共21歳迄は(それを望むものに対しては)彼等の自由に委せておかなければならない。又児童の知的競争心を根絶して彼等の頭脳の無益なる過労を防止し、又学科の数を多種多様ならしめて、児童各自の性質好尚に適合するものを自由に選択せしめ、極力強制を控えて、彼等自身の自然的興味、自発的才能の助長発達に努めなければならぬ。又知的芸術的方面に興味を有せざる者に対しては、決してそれを強制せず、彼等の好む処に任かせなければならない。徒らに無味乾燥なる知識の記誦を強いるよりは、彼等自身の本能的興味の向う処を追跡して、その自然なる発展を促進せしめなければならぬ。
 『さて教育が了った時でも何人も仕事を強制されてはならない。そして仕事を好まない者には生活必要品を与え、全く自由に放任しておかなければならない』 而して本当の懶け者(怠け者)に対しては、世論の制裁だけで恐らく澤山であると彼は考えて居る。又子女の教育に要する費用は、今日の如く其の両親の負担であってはならない。此等の子女は丁年(定年)者と同様、必要品の供給を受け、又その教育費も所属社会の負担でなければならないというのである。

 今日の結婚は、純粋なる愛情を基本として成立って居ないと彼れはいう。家庭に於ける婦人は、今日(=1929年)何等の経済的報酬をも得て居ない。従って彼女等には経済的独立がない爲めに、夫は此れに対して不当の権力を行使する。そして相互の関係は、威圧と恐怖との関係、主人と奴隷との関係であって、相互の間に愛情もなければ尊敬もない。此れ謂わば1種の売淫関係である。然り、『結婚と売淫とは逃げ出すに於て結婚の方が一層困難であるという事以外に殆んど変わりがない。』
 然し結婚に関する現時の法律(英国の)が誤まって居る爲めに、妻は夫の如何なる虐待にも甘んじ、如何なる要求にも盲従して居なければならない。英国の現行法律は、結婚は殆んど終身的の事柄でなければならないとの予想に基いて居る。結婚は妻又は夫の何れか一方が姦通を犯した場合にのみ解除し得るが、両方共それを犯した場合にはそれが出来ない。又発狂や犯罪や虐待や放棄に依ってもそれは出来ない。斯の如き結婚法の下に強制されたる結婚生活、同棲生活に果して何の愛情が湧き、何の幸福があり得よう。然かもこんな法律に世人が堪え得るのは、唯だ軽薄なる偽善の流行の爲めである。即ち、夫も妻も独身の男女も凡て所謂不義を行って居るのだ。唯だそれが公けになる事だけを警戒すればいいのである。何という滑稽な皮肉であろう。若かず宜しく斯の如き有名無実の法律を撤廃して、常に一方の意志のみにて離婚を可能ならしむる如き法律を制定せんには。
 兎に角離婚は一層自由でなければならぬ。何となれば結婚なるものは1個の男子と1個の女子との完全なる相互合意に依って成立すべきもので、その何れか一方が反対なる場合には、当然その基礎を失うものだからである。然しラッセルは、最も合理的なる新式結婚法は未だ発見されてないといって居る。
 ラッセルは、伝統的、教権的形式な既成宗教の弾劾者である。彼れの求むる宗教は『人生は何(ど)うあらねばならぬかという達観に依って、又創造の歓喜が真の幸福であるという観念に依って感憤しつつ、独創と希望に満ちた自由の』宗教である。
 彼れは、人間生命の働きを『本能と知性と霊性』とに分ち、それ等の合一境を終局の理想として居る。本能は生命の活元である。然しながらそれは知性の指導を待たなければ墜落する。併し知性も亦本能と共に霊性に依って浄化され、浸透されなければ冷笑的に流れ、破壊的に陥る。更に又霊性も本能に依って力付けられ、知性に依って開明されなければ独善的となり、隠遁的となる。現代は霊性の働きが擁塞されて、唯だ知性と本能とが不調和に働き、その結果は3者は共に墜落させられて居る。今後は霊性の働きを一層旺んならしむると同時に、依って以って本能と知性とを融和し、浄化し、高揚しなければならない。斯くして彼れは服従と恐怖と禁欲との代りに、独創と希望と歓喜とをもたらす新宗数を待望して居る。

 最後に附け加えておくべき一事がある。それは彼れの議論の経緯を成して居る重要なる2つの観念に就いてである。  2つの観念とは曰く正義、曰く自由である。正義というのは、相互に相侵さないという事である。相互に権力を用い或は圧迫を加える事をしないという事である。社会が満足なる状態にある爲めには、幸福なる状態にある爲めには、実に是根本的に欠くべからざる条件である。而して此の条件の基礎は、相互の尊敬という事である。彼れが到る所、尊敬という事を力説強調して居るのは、此れが爲めである。然しながら正義は単に消極的条件たるに過ぎない。各個人なり各団体なりが、互いに相侵さないというだけでは、そこから何等の価値をも幸福をも生み出しては来ない。積極的に新たなる人生の幸福と歓喜とを生み出して来る根本条件は、実に自由という事である。自由はそのもの既に幸福であると同時に、吾人の精神が、創造本能が、独創性が、存分の成長を遂ぐべき精神的食物である。凡てのよきもの、凡ての価値あるものは、唯だ自由の大気の中にのみ生い育つのである。自由なき所には一切の生命、一切の活力が萎えしぼんで了う。此れ実にラッセルの胸奥に渦いて居る根本的信念である。

 ラッセルの社会改造論の旨(ママ)意は、以上を以って大体つきて居ると思う。伝うる所に依れば彼れは、今夏我国を訪う由である。予め彼れの思想を念頭に用意して親しくその風貌に接するを得ば、興會(ママ)更に深きものがあるであろう。尚参考迄にラッセルの著作目録を示せば左(次)の如し。

・German Social Democracy, 1896.
・Philosophical Expositon of the Philosophy of Leibniz, 1900(松下注:正しくは、A Critical Exposition of ・・・)

・The Principles of Mathematics, 1903.
・Philosophical Essays, 1907(1910年の間違い)
・Whitehead and Russell; Principia Mathematica, 1910-1913.
・The Problems of Philosophy, 1912.
・The Philosophy of Bergson, 1914.
・Our Knowledge of the External World, 1915(1914のまちがい)
・The Principles of Social Reconstruction, 1916.
・Justice in War Time, 1917(1916年の間違い/1917年版は増補改訂版)
・Political Ideals, 1917
・Mysticism and Logic and Other Essays, 1916(1918年の間違い)
・The Principles of Mathematical Philosophy, 1918(Introduction to Mathematical Philsophy, 1919の間違い)
・Roads to Freedom, 1919.
・Democracy and Direct Action, 1919

  大正9年12月31日 松本生識す