!DOCTYPE html> バートランド・ラッセルの記述理論(『ラッセル思想辞典』より)
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バートランド・ラッセル「記述の理論」- The Theory of Descriptions, by Bertrand Russell

* 出典:牧野力(編/訳)『ラッセル思想辞典』より
* Source: Introduction to Mathematical Philosophy, 1919


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 以下は藤川吉美氏(当時成蹊大学講師)による説明ですので英文はありません。

 フレーゲによって着手され、ラッセルによって完成された「意味論」(semantics)の哲学的基礎に関する重要な理論である。記述には不定と確定の二義があるが、「不定的記述」とは「あるこれこれのもの」 (a so-and-so)という形の 語句である。これに対して「確定的な記述 」とは「定まったこれこれのもの」(the so-and-so) という語句である。マイノング(A. Meinong, 18353-1920)は「黄金の山」だとか「丸い四角」などについて語ることができ、しかもそれらを主語とした真なる命題ができる以上、>ある種の論理的存在を持つべきであると主張し、その理由として、もしそうでなければ、それらを含む命題がすべて無意味なものとなる、ということをあげているが、ラッセルはこうしたマイング流の存在論を否定して、唯名論の立場から記述の理論を導入したのである。ラッセルによれば、「一匹の一角獣」は何ものをも記述しない不定の記述で、 非実在なるあるものを記述する不定の記述ではない。「x は 実在しない」という命題は、x が一つの記述(確定的ないし不定的)であるときにのみ意味を有し、しかも、x が何ものをも記述していないときにのみ、この命題は真となる。しかし、記述 x は、それがあるものを記述していようと、していまいと、それを含む命題の構成要素ではない。(Introdtuction to Mathematical Philosophy. 1919, 第16章参照)。ラッセルは動物学が持さない一角獣の存在を論理学でも許してはならないと主張したのであって、彼にとって存在するのはただ「実在の世界」のみである。したがって、ラッセルの立場からすれば、「現在のフランス国王は現在のフランス国王である」(注:フランスは王政をひいてないことに注意)だとか、丸い四角は丸四角である」は偽なる命題である。記述が何ものをも記述していないときには、記述をひとつの名前の代わりに代入すれば、恒真なる命題関数から偽なる命題がえられることになる。ラッセルはこうして 「ウェイヴァリーの著者はスコットランド人であった」という命題を次のように分析する。すなわち、
(i) 「x がウェイバリーを書いた」は常に偽ではない。
(ii)「x と y とがウェイバリーの著者であるならば、x と y とは同じ人間である」は常に真である。
(iii)「x がウェイバリーの著者であったならば、x はスコットランド人であった」は常に真である。
 つまり、(i) 少なくとも一人の人間がウェイバリーを書き、(ii)たかだか一人の人間がウェイバリーを書き、(iii)ウェイバリーの著者はすべてスコットランド人であった、という一つの命題に分析される。ここで、「ウェイバリーの著者」を一つの述語とみなして、これを F であらわし、「スコットランド人」を G で表すと、この命題は F という述語を充足する。つまり、F という性質を有するただ一つの個体は G という性質をも備えている、ということをあらわしている。このような形の命題は一つの記述であるが、ここで重要なのは、F という性質を有する個体がただ一つである、という要求である。こうして、「ウェイバリーの著者はスコットランド人であった」という命題は、
∃x(G(x)∧∀y(x=y≡Fy)))

のごとく定式化される。命題をこのように解釈するところに「記述理論」の特徴がある。さらに、 命題「黄金の山は山である」は、「x は黄金である」を G(x) であらわし、「xは山である」を M(x) でであらわすならば、

∃x(G(x)∧M(x)∧∀y∀z(G(y)∧M(y)∧G(z)∧M(z)⊃y=z)∧M(x))

と記号化される。(藤川)