バートランド・ラッセル「ホワイトヘッドとの親交」
* 原著:The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, 1967, chap.5* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収
私の初婚の初めの幾年かがたつうちに,ホワイトヘッド(Alfred N. Whitehead, 1861.02.15~1947)は次第に恩師というよりは友人になっていった。ホワイトヘッド夫妻はよく田舎の私達の家に滞在した。
英国では,彼はただ単に数学者とみなされたに過ぎないが,米国では哲学者として認められた。
彼と私は哲学上の見解で一致しなかった。
第一次大戦中に私達は互いに疎遠になったが,彼は私以上に寛大で,多分私の方の過ちで親密の情を弱めたのであった。息子の戦死が彼の思想を哲学に向け,機械的宇宙観から脱け出させた。彼の哲学は難解で,私には理解できない所が多い。カントに傾倒し,彼独自の哲学を展開し始めた時,かなりベルグソンの影響を受けていた。宇宙における統一の様相に強い印象を受け,この統一の様相ゆえに科学的推論が正しいとされると考えていた。
彼と私の互いの情愛は最後まで変らないが,二人は別別の道を歩いた。
彼の家は古くから牧師を勤めた家柄で,彼が自ら楽しんだ見解では'偶然が到底起りそうもない家庭'であった。彼の神学上の意見は正統派とは違い,司教代理たる心情に由来したもので,後年の彼の哲学上の著述に現れたものであった。彼は甚だ慎み深く,仕事への集中力は抜群で,驚くほどの一種の抜目なさもあった。
教師として学生の長所・短所をのみこんで,善い点を引き出せる完壁な教師であった。決して辛辣でも,抑圧的でも,高慢でもなく,ユーモアに富んでいた。彼が私に吹き込んだように,有能な青年達に極めて真実で,永続する愛情を吹き込んだと思う。
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In the last months of the war his younger son, who was only just eighteen, was killed. This was an appalling grief to him, and it was only by an immense effort of moral discipline that he was able to go on with his work. The pain of this loss had a great deal to do with turning his thoughts to philosophy and with causing him to seek ways of escaping from belief in a merely mechanistic universe.