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「ウィーン宣言」

* 原著:Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence with the general public 1950-1968
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典* Source:

 以下は、『ラッセル自伝』第3巻第2章(通しの章番号では第15章)「国(英国)の内外で」に書かれていることを,岩松繁俊 氏(長崎大学名誉教授)がまとめたものです。従って、『ラッセル自伝』をそのまま邦訳したものではないので、関連するラッセルの英文を少しだけ添付します。


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沿革

 第三回パグウォッシュ会議は、一九五八年九月、オーストリアのキッツビュールで二十カ国七十名の科学者の参加によって開催された。会議の最終日九月二十日、会場をウィーンにうつして、キッツビュールの会議で採択された声明書を発表した。この声明はパグウォッシュ運動の信条を格調高く示したものとして、のちに「ウィーン宣言」と称されることとなった。ラッセルはこの会議の最終日に出席し、総裁としての演説をおこなった

思想

 ウィーン宣言の基本思想ラッセル=アインシュタイン宣言の思想と同一である。すなわち限定戦争をふくむすべての戦争の否定である。
 問題はいかにして戦争を廃棄するかである。そのためには国際緊張の緩和、軍拡競争の終結、軍縮協定の締結が必要であるが、それらが成功するためには政治的な協力と信頼が国際的に樹立されることが必要である。そのさいに
科学者が果すべき責任と義務は大きいといわなければならない。
 宣言は、全面核戦争がもたらす被害の深刻さをのべると同時に、限定核戦争といえども必然的に全面核戦争の破局にいたらざるをえないと指摘する。核実験がひきおこす障害については、さらに詳細な研究が必要であるが、その結論がえられるまで、極微量の放射線によっても重大な障害が発生しうるという仮説を採用すべきであるという。
 宣言は、国家間の信頼と協力の樹立にたいして、科学者がその研究者としての性格から重要な貢献をしていることを強調すると同時に、今後さらにすべての科学者が自覚的にその目標にむかって寄与することを期待する。 宣言は、さらに、基礎科学のみならず、応用科学と技術の分野における国際協力についても言及する。もし平和が確立されるという条件下では、核エネルギー、発展途上国の生活水準の向上、通信手段の発達などの例をみてもわかるように、科学は人類の福祉と健康と繁栄の増大に寄与するのであって、人類はまさに「科学時代」にさしかかっているといっていいであろう。
 しかし、宣言は、現実の状況をバラ色には措かない。国際的不信感が一般化し、軍備競争にあけくれている現在の世界情勢のもとでは、科学者の責任は特別に重大である。科学は軍事開発と結合し、軍事力と軍拡競争にどこまで貫献しているかによって、物質的な支持を国家から与えられるという立場にある。これは科学の真の目的に背反するものである。こうして宣言は、科学を兵器開発のために利用する現在の悪条件を嘆き、科学を真の目的のために利用できる平和的諸条件を創造するようにと、政府と人民にむかって訴えている。

今日との関連

 ウィーン宣言は、基本的には戦争否定の宣言であり、その条件としての政治的国際的な信頼の確立と緊張緩和のために、科学者の果すべき役割を強調する。
 しかし、そののちの国際政治と軍備競争の展開への科学のかかわりをみるとき、科学が果してきた現実の役割はむしろ憂慮すべき危険な方向へ傾いてきたというべきであろう。
 とりわけここで指摘したいことは、一九五八年のウィーン宣言自体、科学の役割についてかなり甘い判断をもっていたということである。それは一九五八年という時点における科学者の判断としてはやむをえなかったというべきであろうが、科学の目的を「人間の自然の力に対する支配」の促進にあると規定し、また核エネルギーの開発と利用を「平和的」として推進する立場にたっているのである。

The most obvious achievement of the Pugwash movement has been the conclusion, for which it was largely responsible, of the partial Testban Treaty which forbade nuclear tests above ground in peace time. I, personally, was not and am not happy about this partial ban. It seems to me to be, as I should expect it to be, a soother of consciences and fears that should not be soothed. At the same time, it is only a slight mitigation of the dangers to which we are all exposed. It seemed to me more likely to be a hindrance than a help towards obtaining the desired total ban. Nevertheless, it showed that East and West could work together to obtain what they wished to obtain and that the Pugwash movement could be effective when and where it desired to be. It was rather a give-away of the bona fides of the various 'Disarmament Conferences' whose doings we have watched with some scepticism for a good many years.( パグウォッシュ運動の最もあきらかな成果は -パグウォッシュ運動が大きな影響を与えた- 平時における地上での核実験を禁止する部分的核実験禁止条約の締結であった。私個人としては、この部分的禁止は当時満足していなかったし、現在でも満足していない。この条約は、--そうであることを期待すべきかもしれないが--、私には、和らげるべきでない(鎮めるべきでない)良心(の呵責)と恐怖の鎮静剤であると思われる。同時にそれは、我々全人類が曝されている危険をほんの少し軽減するだけのものにすぎない。部分的核実験禁止条約は、私には、望まれる全面的核実験禁止の達成へ向けての助けになるどころか、かえって障害(物)になるもののように思われた。にもかかわらず、部分的核実験停止条約は、東側も西側もともに自分たちが達成したいと望むものを達成するために'協働'できるということを、また、パグウォッシュ運動は欲する時にまた欲する場所で影響力を発揮できるということを、示した。部分的核実験禁止条約は、どちらかというと、私たちがかなり長い年月にわたって、若干の疑念を抱きながら見守り続けてきた多くの軍縮会議の'善意'の正体を垣間見せたものであった。)