谷川徹三「『ラッセル思想辞典』の発刊によせて」
* 出典:『ラッセル思想辞典』(早稲田大学出版部、1985年5月刊)pp.i-ii.* 谷川徹三氏(1895~1989:哲学、美学専攻)は、京大哲学科卒。1928年に法政大学文学部教授。その後法政大学総長を歴任。ラッセル協会第2代会長。
哲学史に引続いてラッセルの書に親しむようになったのは、彼が平和の戦士として活躍するようになってからで、雑誌『世界』(岩波書店)の発意で彼と往復書簡をかわしたりもした。もちろん彼は世界のラッセルで、こちらはまだ青臭い書生である。しかし彼は私の意見に丁寧に答えてくれた。その後、彼は気が向けば小学生にも丁寧に答える人であることを知った。そのうち笠信太郎を会長としてつくられていた「日本バートランド・ラッセル協会」が、笠さんの没後、私を会長としたため、毎月一回の理事会にも出席するようになり、その理事の一人、日高一輝が度たび日英の間を往来し、時にはイギリスに長く滞在してラッセルとも親交を結ぶに至るや、彼はますます私に親しい先覚となった。
他方「ラッセル=アインシュタイン宣言」の趣旨に従って、東と西との平和共存の絆の強化を目指したパグウォッシュ会議がカナダでつくられ、それに出席したことのある湯川秀樹(湯川博士は「ラッセル=アインシュタイン宣言」にも名を連ねている)、朝永振一郎ら、日本を代表する原子物理学者の首唱で、それの日本版ともいうべき「科学者京都会議」の発足した際、私は出席して、与えられた「科学時代のモラル」なる主題の報告をしたりもした。これは「ラッセル=アインシュタイン宣言」の趣旨に則った、しかし別の機会におけるアインシュタインの「全体の破壊を避けるという目標は、他のいかなる目標にも優位しなければならぬ」という言葉に「アインシュタインの原則」なる名を与えて、これを現代における戦争と平和の問題を考える基本理念であると共に、現代におけるモラルの問題を考える前提ともなるべきものとした。
こういう諸関係によって、ラッセルは私にとって最も親しい存在となったので、その死に際して『タイムズ』が新聞一ページ全体を費してオビチュアリーを出した際にも、日本における反響として、彼を二十世紀におけるヴォルテールとして、今後ますます大きな歴史的存在となるであろうという私の言葉が引用された。
昭和六十年一月 谷川徹三