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バートランド・ラッセル「霊魂」

* 原著:What is the soul?, 1928
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収


 物理学者は「物(質)」というようなものはないと言い、心理学者は「心(精神)」というようなものはないと言う。・・・。心理学者の一派には、心的活動と思われるものを一切肉体の活動に還元しようとする人もいる。しかし、それには種々の困難がある。・・・。
 現代科学は、霊魂や精神が一つの'実在物'として存在する兆候を一つも示してくれない。それは物質の存在を信じないのと全く同じ理由からである。・・・。この世界は'出来事'(event)から成り立っており、「長い間持続し(かつ)性質だけが変ってゆくもの」からはできていない。'出来事'はその間の因果関係によってグループにまとめられ、一方のグループは物質と呼ばれ、他のグループは精神と呼ばれる。 人の頭脳の中で起きる出来事は、どれを見てもこの二種類のグループに属する。(脳内の出来事は、ある視点からみれば「物質としての脳を構成する成分」となり、別の視点からみれば「精神を構成する成分」となる。・・・。)
 精神と物質は、出来事を組織する便宜的な手段に過ぎない。だから、とぎれとぎれの精神も、ひとかけらの物質も、不滅だと思う理由があるはずはない。・・・。
 精神の最も重要な特質は'記憶'であるが、特定の人がもつ記憶がその人の死後残ると考える根拠は全くない。残らないと考える方にこそ十分の根拠がある。記憶は脳のある種の機構と結びついているので、その機構が死んで滅べば記憶も止まるとみるのが当然である。・・・。
 唯物論に反対する心情は、(1)精神の不滅を証明したいという欲求、(2)宇宙の究極の力は物的なものより、精神的なものであると証明したいという欲求、の二つから生れると私は思う。この二点では、私は(それらを否定する)'唯物論者'が正しいと思う。・・・。
 人間の欲求は地球の表面を支配する力を持っているが、・・・この力も太陽エネルギーの補給に頼っている以上、太陽の冷却・消滅と運命を共にするだろう。
(注:イラストは、ラッセルの The Good Citizen's Alphabet, 1953 より)
(Nevertheless) modern science gives no indication whatever of the existence of the soul or mind as an entity; indeed the reasons for disbelieving in it are of very much the same kind as the reasons for disbelieving in matter.