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佐山栄太郎(訳注)『現代英米名文選』- 作者・作品解<

* 出典:佐山栄太郎(訳注)『現代英米名文選』(旺文社, 1960年8月刊。206pp.)

バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)(佐山栄太郎)

 Russell はその姓名を正しく書くと Bertrand Arthur William Russell であり,それに 3rd Ear1, Viscount[vaikaunt] Amberley などという爵位もつくわけである。彼は1872年に英国の古い貴族の家に生まれた。3歳の時にはすでに両親なく,祖父の家に引きとられて育てられたが,この祖父とは Lord John Russell(1792-1878)と言い, Victoria 時代に自由党首として政界に重きをなし,2度首相をつとめた人である。Bertrand Russell の父は John Stuart Mill(1806-1873)と親交があり,貴族にはめずらしく進歩的な自由思想家であった。父が死んで2年後には祖父も亡くなって Bertrand は祖母の Russell 伯爵夫人に育てられたが,彼女は謹厳な清教徒で,金銭や世俗的成功にはまったく無関心であったと言われる。Bertrand は12歳の誕生日にこの祖母から聖書をもらったが,その扉には次のように記されていた。
'Thou shalt not follow multitude to do evi1" "Be strong, and of a good courage; be not afraid, neither be thou dismayed; for the Lord thy God is with thee whithersoever thou goest.'
 すなわち,「大衆に付和雷同して悪をなすな。強くあれ,勇気をもて,怖れるな,気を落すな,お前の主,神は,お前がどこに行くともお前と共にあるから」というのであった。

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 この言葉は彼の生涯に消えない影響を与えたであろう。彼は少年のころ,祖父の蔵書から歴史の本をとり出して読んだが,その中に,16世紀の初めごろから国民の権利と自由のために勇敢に戦った祖先のことが書いてあった。その祖先の一人 Lord William Russell が王権に反抗して Charles II 世に死刑に処せられた物語を読んで,「謀叛もしばしば賞賛に値する」と言ったと伝えられる。
 彼は家庭教師についてギリシア語を学び,広く読書をし,18歳になって初めて学校に入学した。すなわち Cambridge 大学の Trinity College で勉強することになった。初めは主として,数学を専攻し,最後に哲学を研究した。この数学研究の結果は,著名な学者 Alfred North Whitehead(1861-1947)との共著として,Principia Mathematica(『数学原理』3巻:1910-1913)となって現われた。これは数理哲学と記号論理学の名著として世界的に知られている。
 1894年、大学を出て,一時 Paris のイギリス大使館に勤めたが,間もなくこれをやめてドイツに行き,経済学とドイツ社会民主主義を研究した。彼はこのころから政治に対する関心を深めて行き, Sidney Webb(1859-1947)や Bernard Shaw(1856-1950)などの社会主義者と交わった。Russell は人間関係に暴力を用いることを悪と考え,第一次世界大戦には勇敢に反戦論を唱え,Cambridge 大学の講師の職を追われた。少しの間投獄されたこともある。こういうことがあってから彼は学究として狭い世界にとじこもることは止め,広い世界のあらゆる階層の人々を目標とする文明批評家の活動に身を捧げた。彼の名を世界的にしたものは Principles of Social Reconstruction(『社会改造の原理』,1916)Roads to Freedom(『自由への道』,1918:米国版のタイトルは、Proposed Roads to Freedom)で,その進歩的な意見は大戦後の動揺と混乱の中に一条の光明として迎えられた。
 彼は革命後のソ連を訪れたが,個人の自由を何よりも尊重する彼としては,全体主義のソ連方式には賛成できないのである。
 彼はまた日本を訪れたこともあり,中国では北京大学で講義をしたこともある。彼は哲学者として思索し著作すると同時に,共産主義と自由主義,民主政治と独裁政治,西欧的体制と東洋的体制,こういう対立を比較研究し,人類の将来を展望する文明批評の論集を次々に公にした。
 1950年に彼はNobel賞を授けられたが,それは,「彼が多面的な,意義深い著作活動を行い,つねにヒューマニティと思想の自由を擁護した功績を認められた」からであった。こういう著作の間にも Russell は別な活動もしていた。政界に出るつもりで労働党から立侯補して落選したこともある。また,夫人と共に児童教育の事業を1927年から1932年まで経営したこともある。1938年から1940年ごろにはアメリカの諸大学で哲学の講義を行なっている。しかしある大学では,彼のsexに関する急進的見解のために,講師の地位から追放を企てられたこともある。
 Bertrand Russell の著作は大小すべてを合わせれば100冊に近いであろう。重要な単行本だけでも60冊に及んでいる。そしてそれは,科学・哲学・心理・教育・宗教・政治・経済というように広い分野にまたがっている。彼の著作は現に日本で全集(松下注:全集はだされておらず、著作集のみ)の翻訳が出版されているから,全体的にこの人を研究するにはこれを利用すればよいが,われわれ英学生としては彼の原文につくべきで,これは大学用教科書の形や対訳の形などで多数世に出ているから,便宜にこと欠かないであろう。そのうち2,3について少し述べておくことにしよう。

 The Conquest of Happiness(『幸福論』,1930)は簡単に言えば道徳読本と言ってもよいようなものであるが,あり来たりの思想に基づくものではなく,科学的に人間の心理とか性行を検討した上で,われわれがいかにして幸福な生活を送ることができるかを説いている。人間は,本能を押さえることではなく,本能を合理的に満足させることを心がけることが重要であることを Russell は繰り返し説いている。これより少し前,1928年に出版された Sceptical Essays(『懐疑的エッセイ集』)という書物もなかなか興味ある著作である。懐疑主義と言っても Russell の説くものは,1)各方面においてその専門家の意見の一致しているものはこれに反対する理由はなく,2)専門家の意見が一致しない場合は,しろうとはいかなる意見も確定したものとは認むべきでなく,3)専門家がそろって,積極的意見に対して十分の根拠がないと主張するときは,ふつうの人は自分の判断をさしひかえるのが賢明である,ということにほかならない。つまりこれは「イギリス的中庸」とも言うべき態度を示すものである。けれどもそれはその根本においてきわめて革新的な考え方であることに変わりはない。
 The Impact of Science on Society(『科学の社会に及ぼす衝撃』,1951)はよき社会のあるべき姿を描いているもので,社会を構成する各人は最大限に普通人であると共にまた英雄でもあるべきで,安定した生活の中で各人が自己の創意を十分に発揮できなければならないというのである。
 Russell はしばしば BBCを通じて大衆の啓発に献身しているが,1948年から翌年にかけての BBCから放送した講演を text として公にされたものが Authority and the Individual (『権威と個人』,1949年)である。この書物は人類が集団生活を必要とする由来から説き起こし,その集団が国家というような大きな形態を備えるようになると,統治する専門の機関が必要となり,したがってそれに巨大な権力が賦与され,それが個人の創意の活動を制約するに至り,やがてこのような大組織となった社会は固定し,停滞老化の現象を起こし,腐敗し始め,国家の統制は力を失い,秩序は失われ,文明が崩壊し,そこでふたたび個人の創意が活動の余地を見出すに至る。こういう歴史的経過を詳説している。Russell はさらに論を進め,現代は科学技術の発達が飛躍したために,従来の文化のサイクルを狂わしてしまい,現代の戦争は文明を潰滅せしめるに止まらず,生物学的な種としての人類全体の滅亡をもたらす危険さえ含んでいると説き,もしわれわれが発展する社会の中で自由な生き甲斐のある生活を営もうとするならば,権威と個人との間の調和均衡というものを見出さなければならないと主張する。Russell の説くところは要するに別に奇抜なものでも,万能薬的な解決策でもなく,いわばきわめて常識的なものに過ぎないであろう。実際ここに語っている人は予言者でもなく詩人でもなく,扇動家でもない。感情を交えず,地道に,現実的に道を説く賢者である。科学的思索と多年の精神的経験を積んだこの88歳になる大家の言はたしかに convincing である。このことは New Hopes for a Changing World(『変わり行く世界に寄せる新しい希望』,1951)という最近の著書についても言えるであろう。
 Russell のもつ上述のような思想を念頭に置いて,本書の文章を読めば一段とよき理解が得られるであろう。そこには Russell が具体的に考えている理想の社会とそれに達し得る方策とが詳しく書かれているのである。