バートランド・ラッセル「幸福は努力と諦め」
* 出典:『ラッセル思想辞典』* Source: The Conquest of Happiness, 1930, pt.2, chap.16
中庸を守ることが必要である一つの問題は、努力と諦めとの間のバランスを保つことに関するものである。従来、この二つの教義(努力主義と諦め主義)は、ともに極端な主張者がいた。聖者や神秘主義者たちは諦めの教義を説き、能率第一を信奉する専門家たちは努力主義を説いてきた。・・・。この相対立する二派はいずれも真理の半分しか掴んでいない。私はこの章で両者のバランスをとることが重要であることを示したい。・・・。
幸福は、ごくまれな場合を別にすれば、・・・、熟したくだものように、何の努力もしないで、口の中に落ちてくる物ではない。それゆえ、私はこの本を、努力して幸福を獲得すると言う意味合いで、『幸福の獲得』(The Conquest of Happiness, 1930)というタイトルをつけたしだいである。
大半の男女にとって、幸福は神の贈り物というよりは、目標への努力の成果物(結果)であるほかない。これには内面的努力と外面的努力とが大きな役割を果たす。(内面的な努力には、諦めの努力もその中に含んでいる。)・・・中略・・・。
ところで、諦めもまた、幸福の達成において役割を持っている。しかもそれは努力の演ずる役割にまさるとも劣らぬ役割である。賢い人間は、防ぐことのできる不幸を前にして座するようなことはしないだろう。しかし、(賢人は)どうしても避けることのできないような不幸のために時間と感情を浪費するようなこともしないだろう。また、避けることができる不幸でも、これを避けるために必要な時間と労力が、より重要な目的の追求の邪魔になるような場合には、これを進んで甘受するだろう。・・・。
・・・。必要なものは、最善を尽くしながらも、その成果は運命にゆだねるという態度である。諦めには二つの種類がある。一つは絶望に根ざしたものであり、もう一つはどのようにしてもおさえることのできない、希望に根ざしたものである。(松下注:写真は、絶版となっている堀秀彦訳の角川文庫版『幸福論』カバー)
The wise man, though he will not sit down under preventable misfortunes, will not waste time and emotion upon such as are unavoidable, and even such as are in themselves avoidable he will submit to if the time and labour required to avoid them would interfare with the pursuit of some more important object. ... The attitude required is that of doing one's best while leaving the issue of fate. ...