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バートランド・ラッセル「哲学の価値」

* 原著:Philosophy for our time, 1953
Repr. in: Portraits from Memory and Other Essays, 1959.

 哲学には'時代を超えた価値'があるが、哲学と時代との関係からみて、その時代によって違いが出る。ある時代が他の時代より知恵が足りなく、哲学を求める意志も弱いとか、哲学に知恵を教えてもらう必要が一層多いとかの違いである。現代は正にその時代で、過剰な知識を精選することが必要な時代である。
 哲学は、理論面では宇宙全体の理解に、情緒面では人生の目的を適切に感得するのに役立つ。
 哲学の第一の務めは、知的想像力を拡大することである。人間は自己の動物的機能から、物事の一切を一点からながめるように強いられ、この事実から離れられない。科学は、空間的に「此処(ここ)」とか、時間的に「今」とかの具体的に特定の認知の枠に拘束されないことを願う。物理学者は、自分の住んでいる地球上の場所からだけでなく、銀河系の外に在るどの位置から見ても同様に「真」でありたいと考える。「今」とか「ここ」とかいう具体的で経験的な認識の枠組みにこだわる人間は、歴史学を学び「今」から「過去」へ、地理学で、「ここ」から「そと」へと考えを広げる。知性は人間を次第に感覚的次元から抽象的思考の次元へと導き、動物的欲求に拘束される者には不可能な、客観的で普遍的な物の見方を身につけさせる。
 哲学はもつべき他の知的役割として、人間が誤りを犯しやすいことや、無教養な者には確実と考えられる事柄にも不確かさが含まれうることを教える。社会習慣、社会組織、政治、神学などを考える場合に、この役割が重要となる。
 自己中心的ではなく、客観的に考える習慣から、自分の属する国家、階級、あるいは宗派の一般大衆が抱く信念と、他の国家、階級、宗派の一般大衆が抱く信念とを冷静に対比すると、共通の誤りを発見する。自分に関係の深い事柄に最も熱中し、感情的に信念を主張するのは、正当な証拠が少ないからである。こうならないための最良の回避策は、何事も証拠のない事柄を確信しない生き方である。
 自分本位でない考え方と感じ方を平行して育てることが重要で、それは哲学的世界観から生れる。最初、人間の感覚と欲求とは共に自己中心的である。これは倫理と対立する。
 人間には、生きる上で不可欠な生物的性質や動物的な面がある。これと完全に断絶するのではなく、それに一般的で普遍的な心情を付加すべきである。つまり、わが子が可愛ければ、他人の子をも可愛がり、また、一切れしかないパンを分けて食べる心情で暮らせばよいのである。哲学は人間生活において、何を、"捨てろ" ではなく、何を "加えよ" と教える。仏陀の「一人でも苦しむ者のいる間、自分は幸せにはなれない」という言葉は、私の言う、何を "加えよ"、つまり情感の普遍化という例だと思う。
 哲学的思考法と感得法を会得した人は、体験から得た知恵によって、善を自他に生かし、悪を避ける。
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The first thing that philosophy does, or should do, is to enlarge intellectual imagination.  ... But we never get away from the fact that in our animal life we are compelled to view everything from just one standpoint (= the here and the now). Science attempts to escape from this geographical and chronological prison. ...
This is done to some extent by the acquisition of any branch of knowledge, but it is done most completely by the sort of general survey that is characteristic of philosophy.... It (Philosophy ought to inculcate a realization of human fallibility and of the uncertainty of many things which to the uneducated seem indubitable.  Source: Bertrand Russell: Portraits from Memory, and Other Essays,1956