バートランド・ラッセル「財政的窮状」
* 原著: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3, 1967, chap. 15* 出典:『ラッセル思想辞典』所収
一九五三年(ラッセル81歳)のクリスマスに、私は大手術を受けるため再度入院することになり、このとき妻や家族全員が流行性感冒に倒れた。息子夫婦は、クリスマスの晩餐後に、三人の子供たちを家に残して家を去り、帰って来なかった。私は孫達が好きだったが、この降ってわいたような新たな責任にぞっとした。息子(長男John)の発病(精神病)で、私は息子夫婦の帰宅の希望を捨てた。長期に亘る孫の教育と休暇の手配をしなければならなかった。
その上、財政上の負担が重くかかってくるのに、いささか困惑した。三番目の妻だったピーターに、(慰謝料・離婚手当として)一万一千ポンド余を支払わねばならなかったので、ノーベル賞の小切手から一万ポンドを与えた,さらに、ピーターと二番目の妻だったドラとに離婚手当を払うと同時に、次男(Conrad)の教育と休暇の費用をも支払っていた。それに、長男の病気で出費がかさんだ。長男の長年の所得税の未納分も支払わねばならなかった。三人の孫を扶養し、かつ教育しなければならなくなるというのは、それがどんな楽しみをもつとしても、問題であることにはかわりなかった。(松下注:写真は、ラッセル、4番目の妻エディス、ジョンの3人の娘たち)