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バートランド・ラッセル「余暇と人生」

* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収
* Source: In Praise of Idleness, 1935, chap.1.

(松下注:このエッセイは、第2次世界大戦前夜の暗い世相に抗するべく執筆されたもの。/1932年、日本が清朝廃帝薄儀をかつぎだし、満州国を成立させる。/1933年1月30日,ヒトラー、ドイツの首相に就任/1934年12月、ソ連で粛正が始まる。)

 現代の工業国家で子供に教える必要のある事柄は、過去に説教されて来た事柄とはまるで違う。
 アテネの奴隷所有者は、奴隷達の労働によって生れた余暇の一部を使って文明への不滅の貢献をした。余暇こそ文明に不可欠なものである。
 昔は少数者の余暇が多数者の労働により成り立っていた。だが、今日では、(人類がその気になれば)近代科学技術により、文明を傷つけることなく、余暇を公平に分配することができる。
 「勤労」の必要は産業革命以前の制度上の所産であり、近代社会にはそのままあてはまらない。近代技術によって、余暇は少数者の特権ではなくなり、社会全体に公平に配分する可能性を保障されている。「勤労の道徳」はある意味では「奴隷の道徳」であるが、現代世界は奴隷を必要としない。
 昔、有閑階級は、文明と呼ばれる内容、つまり科学を発見し、哲学を創め(はじめ)、書物を書き、社会関係を上品なものにし、圧迫された人々の解放さえも(上流階級出身者が)手をつけた。有閑階級が人類を野蛮から解放してくれた。

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 今後、幸福と文明繁栄への道は、単なる勤労ではなく、組織的かつ民主的に仕事を減らすことにある、と私は言いたい。一日4時間の労働で、生活必需品を快適に得る保障が現代の生産技術体系にはある。残余の時間は自分の時間として、個性の伸張のために使うことができる。それゆえ、余暇を上手に使う(利用する)ことを教える必要がある。ここに文明と教育との問題がある。

Modern technique has made it possible for leisure, within limits, to be not the prerogative of small privileged classes, tut a right evenly distributed throughout the community. ...
I want to say, in all seriousness, that a great deal of harm is being done in the modern world by belief in the virtuousness Of WORK, and that the road to happiness and prosperity lies in an organized diminution of work....
... I mean that four hours' work a day should entitle a man to the necessities and elementary comforts of life, and that the rest of his time should be his to use as he might see fit.