バートランド・ラッセル「科学的推理の公準」
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』* Source: Human Knowledge, 1940, Part VI
<以下は、遠藤弘氏(1932~ :早稲田大学教授名誉教授)による要旨訳です。第一の公準についてのみ、英文を少し付加しておきます。>
科学的推理を有効なものとするためにラッセルは次の五つの公準をうち立てている。
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( The chief use of this postulate is to replace the common-sense notions of "thing" and "person", in a manner not involving the concept "substance". The postulate may be enunciated as follows:
Given any event A, it happens very frequently that, at any neighbouring time, , there is at some neighbouring place an event very similar to A.
A "thing" is a series of such events. It is because such series of events are common that "thing" is a practically convenient concept. It is to be observed that, in a series of events which common sense would regard as belonging to one "thing", the similarity need only be between events not widely separated in space-time. There is not very much similarity between a three-months' embryo and an adult human being, but they are connected by gradual transitions from next to next, and are therefore accepted as stages in the development of one "thing"._)
Ⅱ 分離可能な因果列の公準(The postulate of separable causal lines)--「系列の一つ、あるいは二つの要素からその系列の他の一切の要素についてなにがしかを推理することができるような、そのような一つの事象系列を形成することがしばしば可能である。」 海中の一滴の水のように、類似の隣接事象が存在する場合がある。つまり海水の場合どの水滴へも漸次移って行くことができる。そこで公準Ⅰは類似の事象が少なくとも一つ存在することを要請するものであるが、公準Ⅱでは与えられた時点に事象Aに類似する事象が多数存在するようなとき、Aが属している「物」の歴史の一部分とみなしうる事象は通常一つ存在するということが要請されている。この要請によって結びつけられる事象系列をラッセルは因果列とよぶ。この系列の特徴は、それの未だ観察されぬ要素について、世界内の他の事象には言及せずに、何ごとかを語ることが可能だということであり、この特徴こそ因果法則が本来意味するものである。
いわゆる因果関係なるものは一つの因果列に属する任意の二つの事象間に成り立つといえるが、その場合原因が完全に結果を決定づけるわけではない。というのも、その因果列への環境からの働きかけがあり、これが別の意味で原因となっていることは否定できないからである。そういう点を考慮に入れれば、公準Ⅱは次のようになる。すなわち、与えられた一つの事象はほとんどつねに一つの事象系列の一要素であり、その系列は全体を通して、大方法則性を有する、と。
III 空間、時間的連続性の公準(The postulate of spatio-temporal continuity)-- この公準は互いに隔絶した事象間の直接的作用を否定するものである。すなわち、連接しない二つの事象間の因果的連鎖の中にいくつかの中間的な鎖が必ずあり、そのおのおのが次のものに連接している、いいかえれば、当の二つの事象間に数学的な意味で連続的な一つの過程が存するというものである。この公準を客観的に理解すれば、物理的対象はそれが知覚されないときにも存在すると信じられるし、また主観的に理解すれば、あるできごとについて時折回想がなされる場合、それがなされない中間の時点にもおそらくは脳髄内に何かが存在していて、それが想い出の因果列を連続的なものにすると考えることができるのである。
Ⅳ 構造上の公準(The structural postulate)-- 「構造の似通った多くの複合事象が一つの事象を中心にして、その周辺に余りバラバラにならないように配列されるとき、通常それらの事象はすべてその中心にすえられた一事象から発する諸因果列に属する。」 例えば、ある対象を多くの人々が同時に眺めるとき、彼らがもつ知覚表象をパースペクティブの法則によって一つの中心の周りに精緻に配列することができる。音についても同様のことが可能である。匂いのよぅに精微な配列が不可能な場合もあるが、そうした場合にもラッセルは匂いの発生源としての時間的中心点を考えたいとしている。
この公準は、通常そのようなことがありうるということであり、構造上の類似性から一つの源へ遡りうるというのはある程度の確からしさをもった推理にすぎないということである。この確からしさは次のような場合に高い、すなわち、当の構造がきわめて複雑な場合(例:膨大なべージ数の書物)、その構造の例が多い場合(例:六百万人の人が首相の施政演説を聴いた)、中心の周りに集めるときの規則性が高い場合(例:多くの人が爆発音を聞き、同時に時計の針をみた)などである。
Ⅴ 類推の公準(The postulate of analogy)--「二つの事象集合AとBがともに観察されるときにはいつも、(AがBをひき起す)と信じうる理由があるとする。このとき、もし与えられた事例においてAが観察されるが、Bが起るか否かが観察できないとしても、Bが起ることは確からしい。またBが親察されたのに、Aが観察できないとしても、Aが起っていることは確からしい。」 この公準によると、兎を追いかけている犬が突然茂みに隠れても、今もって聞える大の吠え声と一瞬前に見えた犬の姿を連合によって結びっけ、犬は依然として存続していると考える。次の瞬間にその犬が茂みから出てくればその推理は正しかったことになる。また一つの物体を見ると同時に触れることによって、例えば「堅さ」というものがその視覚上の現れと連合されると、上の公準によって、物体に触れていないときにもそのものが堅いと考えることが可能になる。
ラッセルにおいては知識は大別して二種類から成る。特定の事実の知とそれらの事実の相互の結びつきについての知である。とりわけラッセルは後者の知の生物学的な起源が動物的期待にあると考える。Aを経験した動物は次にBが起ることを期待する。これがやがて「AはBをひき起す(AはBの原因である)」という科学内の表現へと進展するのである。しかじかの事象を期待することが生存にとって有利であるということの検証のくりかえしは、期待を支配する心理的法則と期待された事象を支配する客観的法則との一致をもたらすようになる。かくて物理的な世界は習慣(法則)をもち、それに呼応して動物の行動も習慣をもつ。とりわけその生得でない部分の基礎は「動物的推理」とよばれる一種の帰納である。かかる原初的な帰納に深く根ざした帰納的推理のための規範ともいうべきものが以上の公準であり、これに基づく心的習慣は結局客観的法則性に呼応し、有利であるとみなされるのである。(遠藤)