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バートランド・ラッセル「自分本位と公正感覚」

* 原著:On Education, 1926, chap.7)
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』より


 子供をしたい放題(自由放任)にさせると、年上の子は幼い子の玩具をつかみ取る。子供(幼児)には自分の欲求の満足しかない。
 教育の目的は、体罰を加えるのでなく、'同情'の習慣形成にある。'正義'が必要なのであって、'自己犠牲'が必要なのではない。自己犠牲は、徳への手段として、ありえない虚偽を教えるから、最も望ましくない。

 誰もが必ずこの世で一定の場所の占有権を持つ以上、'公正(Justice)'こそ、子供の考えと習慣の中に注ぎ込むべき概念である。公正をほんとうに教えるには、他の子がそこに居る場合が一番よい。独りっ子に公正を教えるのは困難であり、独りっ子をもつ親は早く(我が子に)仲間を作ってやるべきである。独りっ子は、抑圧か、わがままか、それともそれら両方か、いずれかにならざるを得ない。小家族が普通になった今日、保育園をすすめる理由の一つがここにある。
 '公正感覚'は生れつきそなわっているものとは思わない。代りばんこで、一つの玩具や乗物を楽しませる工夫を大人がしてやると、独占衝動を早く克服できる。その工夫は公平で、正当でなければならない。これとは別な種類の道徳的教育を試みても無駄である。抑圧と叱責による道徳的躾の企ては、心の底に深い傷を残し、成長してからゆがんだ反応を生むだけである。(写真:Beacon Hill School にて)