バートランド・ラッセル「入獄と嫉妬」
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収* Source: The Autobiography of B. Russell, v.2, chap.8.
(ブリクストン監獄にいたとき)「自分は入獄の身なんだ」と切実に感じたことが唯一度だけあった。(松下注:ラッセルは第一次世界大戦時,反戦活動のため,1918年5月~9月まで,投獄されている。)私がコレット(舞台名 Colette O'Niel = Lady Constance Malleson:右写真)と恋に陥ってからちょうど1年後,彼女は誰か他の男性と恋愛関係となった。もっともコレットは私との関係を変える気持ちは少しもなかった。しかし,私は,はげしい嫉妬にかられた。・・・。私は獄中ずっと,嫉妬に悩まされ,無気力から狂気のようになった。嫉妬などという感情はいやしむべき感情と考えていた。しかしそれにもかかわらず,やはり嫉妬心は私を消耗させた。私はやつれ,2週間ほど不眠症に苦しみ,医師の睡眠薬でやっと眠ったほどだった。今にして思えば,この感情の高ぶりは全く愚にもつかないことだった。
ラッセルは4度も結婚し,婚外の恋愛関係も少なくなかった。また,ラッセルは「嫉妬」というものを否定的にとらえるため,ラッセルは「嫉妬」という人間的な感情がない冷たい人間であると非難する向きもあった(現在でもある)。しかし,実際は,上記のように,「嫉妬」の感情をいだいて苦しんだ経験があった。しかし,『幸福論』を出版した1930年頃には,「嫉妬心」を抱くことも少なくなり,「嫉妬心」を抱くことはよくないといっそう明確に言うことができるようになった。
There was only one thing that made me mind being in prison, and that was connected with Colette. Exactly a year after I had fallen in love with her, she fell in love with someone else, though she did not wish it to make any difference in her relations with me. I, however, was bitterly jealous.
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[ラッセルの刑務所暮らし]
・1918年5月初め入獄(ブリクストン監獄:囚人番号2917番。)
・兄フランクの努力等により,絨毯が敷きつめられた,普通の独房より広い特別室(週2シリング6ペンスの室料)に入ることができた。机,椅子,ベット付。毎週3人だけ面会が許された。普通は午後8時消灯であるが,特別に午後10時消灯。
・刑務所での日課:4時間の哲学に関する著述,4時間の哲学関係の読書,4時間の一般的読書
・刑務所内で,An Introduction to Mathematical Philosophy (1919年出版) 執筆
・Analysis of Mind (1921年出版)着手
・9月出獄