バートランド・ラッセル「宇宙から見た人類」
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』より* Source: Sceptical Essays, 1928, pt.2, chap.2.
宇宙は広大で、目に見える世界である銀河はちっぽけなかけらで、その中でも太陽系は極微の粒である。その中に地球がある。太陽系の存続期間のうち、人間(人類)の存在が物理的に可能な期間は、全期間中のわずかな一部分である。だが、この期間が終る前に、人間は相互殺戮に一生懸命になって、自分たちの生存期間を早目に打ち切るつもりらしい、と予測できそうである。これが外(宇宙)から見たヒト族の歴史である。
しかし、人間は誰もこのような人生観には不満である。そこで人間は、宗教と哲学とによってここから脱出しようと考える。
コペルニクス以前には、人間中心の世界観を主張するのに精緻な哲学はいらなかった。科学の未熟さを補うため、形而上学を発明する必要があったからだ。この仕事を観念論者が果し、今日まで続いた。
へーゲルは宇宙が当時のプロシア国に似ていると論証しようとした。英国のへ一ゲル学者は、宇宙が英国の上下両院の金権政治的民主主義に似ていると考えた。しかし、これらの人々が発明した思想体系が高価な犠牲を人類に払わせた。
人生における害悪には、自然が生むものと、人間相互の敵対心が生むものとの二種類がある。今日科学が与えてくれる力を自然征服に活用することに専念すれば、人間が互いに人間を征服し合うよりも、万人の幸福と安楽との増大を保障できよう。
虚偽の信念に基づく幸福の探求は犠牲が多く、高貴でもなく、輝かしくもない。世界中の人間が真の地位を認め合うなかに、神話を取り囲む壁のドラマよりも、もっと生き生きとしたドラマがある。
思想の世界には危険な海があり、この海を無事に航行できるものは、自ら己の無力を直視し、互いに協力し、神話を夢見ない人間だけに限られる。
人類に永続する福祉をもたらしうる唯一のものは、宇宙のなかの人間の真の地位を自覚し、科学の力により人間のエネルギーを十分発揮させることにある。
Apart from all utilitarian arguments, the search for a happiness based upon untrue beliefs is neither very noble nor very glorious. There is a stark joy in the unflinching perception of our true place in the world, and a more vivid drama than any that is possible to those who hide behind the enclosing walls of myth. There are "perilous seas" in the world of thought, which can only be sailed by those who are willing to face their own physical powerlessness. And above all, there is liberation from the tyranny of Fear, which blots out the light of day and keeps men grovelling and cruel. No man is liberated from fear who dare not see his place in the world as it is; no man can achieve the greatness of which he is capable until he has allowed himself to see his own littleness.
Source: Bertrand Russell: Sceptical Essays, 1928, chapter: dreams and fact,s II
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