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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

バートランド・ラッセルの英語 - 誤訳集(過去ログ)

(お願い)誤訳あるいは不適切な訳だと思い紹介していますが、私が勘違いしている場合もありえます。そのような場合には、メールで指摘ください。

[誤訳例 n.003:ビジネス英語であってももっと文法を大事にしてほしい]
臼井俊雄『本気で鍛える英語-ビジネスマンに必須の英語表現と語彙を一気に習得する』(ベレ出版,2012年10月刊 2,200円+税)


 本書のp.214に,ラッセルの名言として次の2つがあげられており,(  )内のような訳がつけられている。

The good life is one inspired by love and guided by knowledge.(すばらしき人生は,愛に鼓舞され,知識に導かれたものだ。)

Patriotism is the willingness to kill and be killed for trivial reasons.(愛国心とは,喜んで人を殺し,つまらぬことのために死ぬことだ。)

 どちらの訳も気に入らないが,特に後者は問題である。臼井氏の訳では, the willingness は to kill だけにかかり, to be killed にはかからないとしている。また, for trivial reasons は to be killed にはかかるが to kill にはかからないとして訳している。英文をよくみずに,勝手に言っている内容のイメージをつくりあげ,日本語をあてはめてしまっている。
 普通にこの英文を解釈すれば、次のような構造になっているはずだ。

 the willingness to kill for trivial reasons + the willingness to be killed for trivial reasons   →  the willingness to kill and to be killed for trivial reasons.

 p.215に「willingness ~快く~すること 」という注がついいている。全体の意味を正確にとらえずに, willingness (willingness to)に 「快く~すること」という訳を固定化して, 「快く殺されるはずはないから」と考えてしまって, for trivial reasons は後者にだけかかるとしてしまったのではなかろうか。
 しかし上記のように構文をとらえるのが常識的であろう。 willingness to を「進んで~する」と考えて,

愛国心とは,取るに足らない理由で,進んで人を殺したり,殺されたりすることである。

とすべきではないか?

 しかし,問題はまだ別にある。

 名言・警句集というのは,当人が言ったそのままではなく,引用する人が少し文章を変えてしまったりして,いつのまにかそれが定着してしまうことがけっこうある。この引用も,ラッセルが言ったとおりではなく,実際は下記の文脈で言われたものを,独立した一文の警句になるように一部文章を変えてしまったものである。
 ★従って,引用する場合には,どの著書からという情報だけでなく,どの版(どの出版社の,何年に出版されたもの)で,ハードカバー版かペーパバック版か(ページが異なる場合が多いため!),また何ページに掲載されているかまで示すようにしたほうがよいだろう。


(オリジナルの文章)
Education authorities, as opposed to teachers, have not this merit, and do in fact sacrifice the children to what they consider the good of the State by teaching them ★'patriotism', i. e., a willingness to kill and be killed for trivial reasons.
(教師と対立したものとしての教育当局は,このような長所を持たず,子供たちに「愛国心」,言い換えれば,取るに足らぬ理由から進んで人(=外国人)を殺したり,殺されたりする心を,教え込み,彼らが国のため(国益!)と考えるもののために子供たちを事実上犠牲にしている。)
 [From: Sceptical Essays, 1928, chap. 13:Freedom in Society. (Unwin paperbacks, 1928, p.136.) ]


 最近強調されているコミュニケーション中心の英語教育にはこういった文法を疎かにしているものが多く見られ,残念であるとともに,数年後に失敗だったということになるような気がしてならない。


[ラッセル誤訳例 n.002:知的誠実性の重要さ:懐疑主義の勧め]

(出典: 
https://quotations.livedoor.biz/archives/50639568.html
* リンク切れの恐れがありますので、転載します。

(原文)
Do not feel certain of anything. (Bertrand Russell)


(誤訳例)
どんなことも、これでいいと思ってはいけない


(試訳)
* この短文は、非常に多くのホームページで引用されているが、私が見た限り、すべてにおいて、上記の訳になっている。正しくは、下記のページにあるように、Do not feel absolutely certain of anything. というように absolutely がついており、以下の意味である。
 https://russell-j.com/DECALOG.HTM

→ いかなるものごとも、絶対的に確実だと思ってはいけない。(科学的知識でさえも絶対ではなく、蓋然的なものにすぎない。ましてや、人間社会に関する知識などは、・・・。)


[誤訳例 n.001:ゴルフに関する格言・警句]

(出典: 
https://quotations.livedoor.biz/archives/50639568.html
* リンク切れの恐れがありますので、転載します。

(原文)
The place of the father in the modern suburban family is a very small one, particularly if he plays golf. (Bertrand Russell)

(不適切な訳)
現代の郊外にある家庭における父親の居場所はとても小さい。特にゴルフをやる場合は。(バートランド・ラッセル)

(試訳)
* The place を「居場所」と訳していますが、「現代の父親は、居場所がなくなっている」ということだろうと思って、このような訳をしたのだろうと想像されます。

→ 郊外に住んでいる現代の家族における父親の地位(しめる場所・立場)は、非常に小さなものになっている。(休日に)ゴルフをやりに行ってしまい、子供や妻をないがしろにする父親の場合は、特にそうである。