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(ヒューマン・アルバム) 合田一三「平和を情熱的に求め主張した哲学者,バートランド・ラッセル」

* 出典:『潮』(潮出版社)n.497(2000年7月号) pp.213~220.
* 合田一三(ごうだ・かずみ: ~ ):フリー・ライター。愛媛県宇和島市生まれ。フリーライター。広島大学文学部卒業。支援グループ「パヤタス・オープンメンバー」代表。参考

 世界の民衆に呼びかけ 核兵器廃絶の平和勢力を結集

 バートランド・ラッセルは一八七二年,イギリス貴族の家系に生まれた。内気で孤独な少年は,数学に夢中になり,ケンブリッジに進学。後に二十世紀最大の哲学者・数学者のひとりとして知られるようになる。
 ラッセルは,情熱をもって信ずる人になろうとしたがゆえに,情熱的な懐疑家であった。単なる伝聞を拒否し,あらゆることに疑問をもち,確実な知識を求めた。彼は,子どものもつ真剣な驚異の気持ちを,一生もちつづけた。そして,自分の失敗を率直に認める勇気,行動する勇気も兼ね備えていた。
 第一次世界大戦がはじまったとき,彼は,人間というものは,決して自分が信じていたように合理的ではないと認めた。彼は積極的な反戦運動を行なったために,ケンブリッジの講師の職を失い,獄にもつながれた。獄中で次のように書いている。
「肉体を閉じこめても,精神が自由ならば,閉じこめた甲斐はないではないか。(中略)
・・・。私は自由だ,そして世界も自由にしなければならない」
 ラッセルは,世界各国を旅行し,政治,戦争,国際問題,社会主義など,あらゆることについて,たえず論文を書いた。
 第一次大戦後,中国に旅行した彼は,世界情勢に対する中国の将来の重要性を訴えた。第二次大戦後の,東西問の対立を最も早く予言し,ロシアだけでなく,アメリカをも仮借なく批判した。また,性,結婚,教育などについても,それまでの既成概念を問い直し,人々に大きな影響を与えた。
 ラッセルの業績は,完結した哲学というよりは,「建設中」の哲学であった。彼は科学にも造詣が深かったが,科学が今までの信仰への信頼を破壊し,しかも失われた信仰の埋め合わせもできない,二十世紀という時代のジレンマに,正確に焦点をあわせていた。一九五〇年,ノーベル文学賞を受賞する。
 一九五四年,かねてから危倶していた水素爆弾が人類の目の前にあらわれたとき,彼は,水爆使用に反対する放送を行ない,次のように呼びかけた。
「私は一個の人間として同胞に訴えます――あなたがたの人間性を想起し,それ以外のことは全部忘れなさいと。」
 彼はまた,アインシュタインをはじめ,東西両陣営の科学者に,水爆反対の声明への署名を呼びかけ,多くの支持を得た。「ラッセル=アインシュタイン声明」である。
 一九六一年には,核兵器反対の座り込みのアピールに関して拘禁される。一九六三年には,ラッセル平和財団を設立。一九六五年,ベトナム戦争に反対する声明を公表。九十歳を超えても活発に,人類への奉仕の活動をつづけた。
 さまざまの悲しみや心配事に直面しながらもラッセルは生涯,勇気と快活さを失わず,不屈の人間精神のあり方を示した。「ヒューマニティー(人問主義〕と自由な思索の使徒」としての大きな歩みを残して,一九七〇年,九十七歳の生涯を終えた。
 (参考文献=アラン・ウッド著『バートランド・ラッセル,情熱の懐疑家』碧海純一訳,木鐸社)