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ラッセル「神の(存在の)道徳的証明法」

牧野力(編/訳)『ラッセル思想辞典』より

* From: Why I am not a Christian, 1927.

 昔,神の存在について3つの知的な証明法がありましたが,3つとも『純粋理性批判』の中でカントによって退けられました。ところがカントは,それらの証明法を片づけるやいなや,彼自身,神の存在についての新しい証明法である,「道徳的証明法」を発明しました。・・・。彼も多くの人に似ていました。すなわち,知性の問題については,彼は甚だ懐疑的でしたが,道徳的問題については,母の膝の上で聞き憶えた格言を絶対的に信じたのです。・・・。

 カントの発明した証明法は,いろいろな形で,19世紀を通じて人気がありました。それにはありとあらゆる形式があります。一つのタイプは,「神が存在しなければ,善も悪もないだろう。」というものです。・・・。私が関心を抱く点は,もし善と悪との間に違いがあると確信するならば,その時は次の事態におかれるということです。すなわち,善と悪の違いは,「神の命令」に依るのかどうかということです。もし両者の違いが神の命令に依るとすれば,その場合は,「神自身にとって善と悪との間の違いはなく,'神は善である'」という発言(命題)にはもはや意義がなくなってしまう,ということです。神学者たちが言うように「神は善である」と言おうとするならば,そのときは,善悪は神の命令とは別個にある意味を持つと言わねばなりません。なぜならば,神の命令(自体)は神がそれをなしたという単なる事実から離れて,善であって悪ではないからです。そうだと言おうとすれば,その時は,正誤が起るのは神を通じてであるばかりでなく,本質的には論理的に言って(正誤は)神以前にあると言わなければなりません。もちろんお望みであれば,この世を創造した神に命令したもっと優れたのせいだとも言えるでしょうし,また,グノーシス派の誰かの発言のように,この世は神の見ていないすきに悪魔によって創造されたとも言えることになります。

If you are going to say, as theologians do, that God is good, you must then say right and wrong have some meaning which is independent of God's fiat, because God's fiats are good and not bad independently of the mere fact that He made them. If you are going to say that, you will then have to say that it is not only through God that right and wrong came into being, but that they are in their essence logically anterior to God. ...