バートランド・ラッセル「自然法則による(神の)存在証明法」
* From: Why I am not a Christian, 1927.
(しかし)今日では、我々人間が、自然法則だと考えてきた多くのことが、実は、人間の(思考)慣習でしかないことが発見されています。・・・。自然法則と言われているものは、偶然から生ずるものとまったく同種の、統計(学)的平均値に過ぎません。・・・。その事から、自然法則に関するすべての事柄が、以前よりずっと影を薄くしているのです。・・・。自然法則(の存在)は、法則を生み出すもの(原因)の存在を必然的に含んでいると考えるのは、自然法則と人間の法則とを混同することから生ずるものです。人間の法則は、ある様式で人間に行動することを命ずるものであって、その様式で、人は行動することを選んだり、行動しないように選ぶことができます。ところが、自然法則というのは、実際において、事物が行動するところの単なる記述に過ぎませんし、そうさせることを命じた誰かがいなければならないとは論じられません。なぜならば、そういう何かがあったとしても、そうすると次のような疑問に直面します。――「なぜ神は、ちょうど(現在存在する)自然法則のみを生み出し、それら以外の自然法則を生み出さなかったのだろうか?」――
If you say that He(God) did it simply from His own good pleasure, and without any reason, you then find that there is something which is not subject to law, and so your train of natural law is interrupted. If you say, as more orthodox theologians do, that in all the laws which God issues He had a reason for giving those laws rather than others - the reason, of course, being to create the best universe, although you would never think it to look at it - if there was a reason for the laws which God gave, then God Himself was subject to law, and therefore you do not get any advantage by introducing God as an intermediary.