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バートランド・ラッセル「ウィトゲンシュタインの晩年の著作」

* 原著:R.カスリルズ、B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)『拝啓バートランド・ラッセル様_市民との往復書簡集)』

目次


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'・・・。『プリンキピア・マテマティカ』のなかの記号体系が論理学者用にデザインされたのと同じように、ヴィトゲンシュタインは、その仕事の初期の段階において、哲学者用にデザインされた特別な言語の必要性を感じたことは明らかです。しかし、かれの後期の段階においては、そうした装置(device:工夫)に重要性を付与しようなどということは、もはや考えなくなっていたように思います。
 あなたの著書を読んだかぎりでは、あなたはかつて、哲学者のための人工言語の創造が有用な装置(device:工夫)になると考えられていたのかどうかよくわかりませんが、もしもそうであるならば、現在でも人工言語は有用なものであると考えておられるでしょうか。あるいは現在では、ヴィトゲンシュタインが人工言語は有用ではないという考えに変わったように、あなたも考えを変えられたでしょうか。・・・。
 わたしはウィィトゲンシュタインの後期の仕事は、おそろしく失望させるものだと思っています。かれは、言語学の些細なことがらのまわりをぐるぐるさまよっているような感じであり、数ケ国語に通じる者から見ればいたって些細なことであると思われるような事柄に自分の心を奪われているように思います。・・・。'

ラッセルからの返事(1959年10月12日付)

 拝 啓
 10月8日付のお手紙ありがとうございます。ウィトゲンシュタインの後期の仕事について、あなたとわたしが同じ意見であるということがわかりたいへん嬉しく思います。

 哲学用語(哲学用の術語)の問題に関しましては、わたしはいまだに、口語(日常会話の言葉)からある程度離れることは、哲学者が現在よりももっとはっきりと思索するために役立つと考えています。一例をあげてみましょう。時間の哲学は、動詞が時制をもつという事実によって混乱させられています。日常言語では、ブルータスがシーザーを殺そうとしているという事実を、この事実が過去であるのか現在であるのか、あるいは未来であるのかを示すことなしに表現することは非常に困難です。'is'(・・・である)という語は、「正直は最良の方策である」とか「4は2の2倍である」というように、時間に関係なく使用可能です。しかし、ブルータスがシーザーを殺そうとしているのが、時間に関係なく、宇宙の構造の一部であるということを簡単に述べる方法はまったくありません。哲学者たちは、過去は実在しない、また未来も実在しない(松下注:現在この瞬間のみが実在する)という考えを述べることによって当惑し、そして、自分たちが欠陥だらけの言語の奴隷であることを見落としています(=認めようとしません)。すなわち、わたしが、『私の哲学の発展』の最後の章(批評に対する若干の答弁)のなかの「論理学と存在論」という節でとり扱った、ひっくりかえったE(存在記号ヨ) についてもう一度考えてみてください。日常言語がこの観念を直截に表現する方法をもたないということは不便です。

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 哲学用語という観念が重要だろうとわたしが思う面がもう一つあります。それは、最小語彙に関するものです。「われわれの知識を表現可能な最も少ない数の非定義語はなんであるか」という問題は、わたしには重要に思われます。しかしわたしは、哲学用語は、少数の問題以外は、実際には使われるべきだとは切望はしていません。
 わたしがこうした意見に到達してから長年になりますが、それは、ウィトゲンシュタインの影響を大きく受けたからとは思っていません。
 敬 具 バートランド・ラッセル

'... Philosophers puzzle themselves by observing that the past does not exist and the future does not exist, and fail to observe that they are the slaves of a linguistic defedt. ...'
(From: Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence with the general public, 1950 - 1968. Allen & Unwin, 1969.)