絶対平和主義者(拝啓バートランド・ラッセル様より)
* R.カスリルズ、B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)『拝啓バートランド・ラッセル様(市民との往復書簡集)
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ラッセルからの返事・1956年10月12日付)
拝復わたしはいまだかつて「絶対平和主義者」であったことも、また「絶対○○主義者」であったことも一度もありません。行動は、そのもたらす結果によって正しいとか誤っているとか判断されるべきだと私は考えています。正しい行動というのは、可能なるあらゆる行動のなかで、悪い結果と良い結果の間のバランス(差額)を最大限よい方に与える(=差し引き最もよい結果をもたらす)行動であると考えます。"物を盗むな" や "殺人はするな" というような一般的な規則は、たいていの場合正しいのですが、例外もありがちなのです。
あなたは、わたしがいままで(1956年まで)に、戦争の被害で長い間苦しんでいる罪のない人々に直接接したことがあるかお尋ねですが、わたしはそういう経験はありません。こんどはこちらから逆にお尋ねしましょう。あなたはいままでアウシュヴィッツ(Auschwitz)にいて、途方もない人数の罪のないユダヤ人がガス室(第二次大戦中ナチスが設置)の中に群れをなして追い込まれた光景を目撃したことがおありですか。もしなかったら、それならあなた自身のフレーズをここに引用しましょう。
「あなたの理論は、やむをえないことではあるが、冷たいものです。」
敬 具 バートランド・ラッセル
... I have never been an absolute pacifist or an abosolute anything else. I think that an act is to be judged right or wrong by its consequences: the right act being that which of all acts that are possible gives the greatest balance of good over bad consequence.
(From: Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence with the general public, 1950 - 1968. Allen & Unwin, 1969.)