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幸福の追求

R.カスリルズ、B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)『拝啓バートランド・ラッセル様_市民との往復書簡集』

目 次




ラッセル英単語・熟語1500
 ・・・。『わたしの信条』(What I Believe, 1925)の中であなたは、道徳律の基礎となるような一つの判断基準を提示しています。すなわち、人間の行為は、もしそれによって人間の幸福の総量が増すならば、それは"善"であると。
 しかしながら、これは人間の幸福をはかる秤のようなものが存在することを仮定しています。2つのうちどちらのほうがより多くの幸福が存しているかということを容易に決めることのできる場合は、たしかにあります。けれども、一般的な標準がはたして存在するものかどうかわたしには明らかではありません。
 あなたの「宗教は文明にたいして有益な貢献をしてきたか」(Has Religion Made Useful Contribution to Civilisation, 1930)という論文の中で、Righteousness(公正さ)の概念は相対的なものであるから道徳の基準としては適当ではないと装っています(pretend)。ところがその同じ論文の中で、子どもたちの教育においては(嫉妬心をふせぐために)厳格な Justice(正義)が必要であると主張しています。
 わたしには、RighteousnessJustice の明確な区別がわかりません。・・・。

(ラッセルからの返事・1963年1月26日付)
 拝復 ヴァン・ルーヴェン様

 ・・・。もしある行為が人間の幸福を増大するならば、その行為は"善"である、と私が言うとき、私は、人間の幸福についての一般的な基準があると言っているわけではありません。わたしが言おうとしているのは、「"善"は、幸福の追求として理解されるべきである」ということです。幸福を構成するものは何かということは、社会的に長く論争が続いている問題です。
 われわれは間違いをおかすこともあるでしょう。また、状況によっては、人間の幸福のために必要なものも変わってくるでしょう。しかし、それでもやはり、このような幸福を得たいとそれぞれが心にいだく幸福を追求することは、適切な道徳的作業なのです。
 あなたのご指摘の第二点は、Righteousness(公正さ) の相対的な性質は、子どもの教育における Justice を不可能にするということのようです。しかし、もしあなたがわたしのその論文をよく吟味してくだされば、"Righteousness"(公正さ)についての考え方は、社会と時代とともに変化すると言っているにすぎないことがおわかりになると思います。また、子供たちを取り扱うに当たっての "Justice" というのは、かれらに機会を与えるのに差別をしない(平等の機会を与える)ということであり、教育学上の偏見から無慈悲な取り扱いをして、子どもたちを犠牲にすることのないような教育を行うということであり、それは容易に理解されるはずです。この2つの概念(Righteousness と Justice)及び、子どもたちを正しく取り扱うということは単純な概念であり、すこしも矛盾しないと思います。
 あなたの議論全体が、独断的な議論でした。

 敬 具  バートランド・ラッセル

..In What I Believe you put forward the criterion that should underlie moral rules: a human act is "good" if through it the total amount of human happiness increases.

This supposes however the existence of a measure for human happiness. There are of course cases in which it is easy to decide which of two alternative situations contains most happiness, but the existence of a general standard is not obvious to me.

'In your article "Has Religion made Useful Contributions to Civilisation?" you pretend that the concept of righteousness is a relative one and thus not suitable as a moral standard. However, in the same article you maintain that in the education of children (to prevent jealousy) strict justice is required. I do not see a clear distinction between the concepts of righteousness and justice....'

January 26, 1963

Dear Mr Van Leuven,

When I say that an act is 'good' if it increases human happiness, I do not imply a general standard for human happi ness. I mean to say that 'good' ought to be understood by people as the pursuit of human happiness; as for what constitutes that happiness, that is a matter for continued social debate. We will be wrong and circumstances will alter what is required for human happiness. Nonetheless, the pursuit of it, as we each conceive it to be, is the proper ethical task.

Your second point suggests that the relative nature of 'righ teousness' makes 'justice' in the education of children impossible. You will find if you examine the essay that I mean no more than that views of 'righteousness' vary with communities and periods. Justice in the treatment of children is easily understood as the lack of discrimination in the opportunities accorded them and the educational practice of not victimising children with harsh treat ment for reasons of pedagogic prejudice. The two ideas ('righte ousness) and fair treatment of children seem to be simple ones and not contradictory at all. The entire discussion was a pragma tic one.
Yours sincerely
Bertrand Russell

Source: Dear Bertrand Russell, 1969