「不道徳なのは誰か?」(『拝啓バートランド・ラッセル様』より)
・・・僕は(今)十六歳で,高校最後の年に、あなたの『なぜ私はクリスチャンでないか』をちょうど読み終えました。そうして,とても感動しました(深い印象を受けました)。・・・先週、僕は我が校の校長と話し合っていました。(その時)校長は、宗教は社会の道徳律(道徳規範)のために責任があることを自分は信じていると言いました。これ(校長の言うこと)は、無神論者や不可知論者はみな不道徳だという意味合いを残すので,僕は校長の意見に不賛成です。* 松下訳に変更
→『拝啓バートランド・ラッセル様』目次
(ラッセルからの返事・1966年4月27日付)
拝復 ウォーカー君
・・・。宗教が我々(人間)の道徳律(道徳規範)に,あるいは,少なくともひとつの道徳律(道徳規範)に,責任がある(責任を負っている)ということは、恐らく本当でしょう。この道徳律(道徳規範)は,聖書に基礎がありましたが,その後,自分たちが最も恐れているものをすべて抑えつけてしまいたいと思う人々によって形式化されました(正式のものとされました)。ある種の人々の基準によれば、忠実なキリスト教徒(注: a professed Christian:誓約をして正式に宗教に帰依したクリスチャン)の目においては、無神論者や不可知論者は不道徳であると考えられる可能性がありると思われます。けれども、キリスト教徒でさえも、汚点ないわけではありません。彼ら(キリスト教徒)にも(これまで)次のような罪がありました。
1. コンゴの人々を苦しめた(罪)
2. ドレフェスに有罪の宣告した(罪)
(注:Alfred Dreyfus, 1859-1935:フランスの陸軍軍人でドレフュス事件の被疑者)
3. 核戦争を支持し続けている(罪)
私は,このリストを永遠に続けることができます(例をあげ続けることができます)が、、道徳的観点からみて、彼ら(キリスト教徒)は評判が悪いとする(put them in bad odour)ことで十分だと思われます。
敬具
バートランド・ラッセル
April 27, I966
Dear Mr Walker,
|
1. Torture. in the Congo.
2. The cohon of Dreyfus.
3. Continued support of nuclear warfare.
I could cominue this list for ever but it seems enough to put them in bad odour from a moral point of view.
Yours sincerely
Bertrand Russell
(From: Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence with the general public, 1950 - 1968. Allen & Unwin, 1969.)