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R.カスリルズ、B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)『拝啓バートランド・ラッセル様(市民との往復書簡集)』

目 次

V.逸話の数々・解説

同上、英文(原文)


'私の好きな歌は、Sweet Molly Malone .....' です。
(注)モリーというのは、女性名マリーの愛称
 一般大衆が特に有名人に強い好奇心を向けるのは避けられないことである。バートランド・ラッセルも例外ではなかった。
 彼の写真や署名は最優先のものとして求められた。彼の著書を購入し、ラッセルに送って彼にサインを求める人、詩をささげる人がいるかと思えば、スケッチや絵が山ほど彼に贈られた。彫刻家は彼の胸像を送った。きわめて多岐多様にわたる関心、趣味、職業を持った人々によって(ラッセルに関する)個人的なデータの数々が収集された――すなわち、好奇心からいろいろと漁ることを常習にしている一般大衆が、偉大な人物が自分たちと同じように生き、呼吸をしている事実を確認できる、いかなる情報も集められた。

 ラッセルは、いつも機嫌良く人と接し、自分の趣味に溺れることなく、自分の好きなものに盲目的になることもけっしてなかった――けれども好みのウイスキーの銘柄(レッド・ハックル)だけは、決まっていた。Sweet Molly Malone という歌は、ほんとうに彼の好きな歌であり、また、彼自身は一度も味わったことはなかったけれども、ジョン・ラッセル卿(ラッセルの祖父:ヴィクトリア朝の総理大臣)のためのプディングは、彼の好みのレシピであった。少しぶしつけな作法により、有名人の精選された流行ものとしてこれらのものがつけ加わり、それらは永久に忠実な一般大衆により、後世の人々のために労を惜しまずに記録されるのである。

 日曜画家たちにたいしてもラッセルは平等に寛容な態度を示し、ときには次のようなちょっとした提案をして楽しんだりした――「・・・スケッチにサインしておきましたよ。だけど、この鼻の格好は是非もう少し何とかしてもらいたいですね。」と。

 ラッセルは、まさに公共(物)的存在(public domain)であった。彼は単に核兵器撒廃運動関連組織の財産ではなかった。「(英国が所有している)大理石彫刻を、母国(=もともとの所有者)であるギリシアに返還せよ!」のスローガンの下に、「エルジン大理石彫刻」のギリシアへの返還を要求している委員会がラッセルの支持をもとめた。あらゆる聖人がそうであるように、彼のものは何一つとして神聖視されないではすまされなかった――彼のネクタイは、他の有名人のネクタイやスカーフとともに、「友情のネクタイ展覧会」での展示・即売のために出品要請された。ラッセルはすべての人に同情心をもって応対し、手助けとなった。敵意をもった手紙もたくさん送られてきたが、彼はそれらにたいし個人的にふくむところはなかった――泰然自若としてそれをうけとめ、しんの強いところを示すとともに、つねに建設的な返事を書き送った。

 このような手紙をとおして、ラッセルの人間性の興味ある側面をうかがい知ることができる――すなわち、人々がそれぞれバラバラに集めた断片的な情報、回想や逸話の数々を継ぎ合わせると、めったにあらわれないラッセルを見る新しい窓が開かれる―すなわち、有名人としてではなく、血も涙もある生きた人間ラッセルの姿である。これらの手紙は、ラッセル得意の当意即妙のしゃれで、わさびがきかされ、人間バートランド・ラッセルの善良さ、温かさ、感受性の奥底深くを見せてくれるのである。