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牧野力(編著)『ラッセル思想辞典 』より 


(米国における)競争
(From: The Conquest of Happiness, 1930, pt.1, chap.3.

 米国の社会階級(階層)には不断の変動がある。(松下注:富める者が没落したり、貧しい者が成功して金持ちになったり・・・。)
 (米国の)実業家は成功の追求こそ男の男たる義務で、追求しない男を哀れな人間とみなす。彼の人生は永久に成功(の追求)に集中され過ぎており、幸福でありたいために心労が多過ぎる。
 競争における成功を「幸福の主たる源泉」と強調しすぎると、災いの原因となる。確かに金はある程度幸福増大に役立つが、限度がある。成功は幸福の要素ではあるが、他の大切な諸要素を犠牲にすると「成功するための代価」が非常に大きくなる。
 成功に競争的要素が含まれるのは確かだが、成功が尊敬されるのは、彼に成功をもたらしたもの、例えば能力が卓越していた点にあるのであって、結果である金銭ではない。
 アメリカの子供達も幼い時から金銭的成功を唯一の重要事項と思い込む(思いこまされる。)。
 こういう人生観は、感性理性・知性を犠牲として「意志」だけを不当に訓練する結果となる。
 (アメリカ建国者はピューリタンであったが)近代清教徒主義時代の道徳家達は、常に意志を強調してきた。しかし元来は「信仰」に力点を置いていた。・・・。それが次第に意志だけを不当に発達させ、競争の哲学を作りあげた。
 この哲学に毒されるのは仕事だけではない。余暇も同じように毒されている。静かで神経を回復させるてくれるような余暇は退屈きわまるものだと感じられるようになる。
(松下注:アメリカ人が好きなスポーツは、フットボール、バレーボールその他、相手をいかにうまく出し抜くかを競うスポーツが多い。日本もそうなりつつあるのかもしれないが・・・。)  競争は絶えず加速され、その結末として、薬物にたより、健康を害することになるだろう。これに対する治療法は、バランスのとれた人生の理想の中に、健全で、静かな楽しみの果たす役割を認めることであろう。(イラスト出典:B. Russell's The Good Citizen's Alphabet, 1953)