バートランド・ラッセル「遊びの建設的意味」
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』建設と破壊は共に、力への意志を満足させる。建設に一層困難が多いと、達成の満足感も大きい。破壊はずっとやさしいから、子供の遊びは破壊から始まり、後の段階で初めて建設に移る。大人が作る積木の塔を先ず子供は叩きつぶしたがる。自分で塔を高く積み上げると自慢し、弟や妹が叩くのを防ぐ。叩くのと積み上げるのとは、どちらも子供を楽しませる衝動で、段階差はあるが、全く同じ質のものである。ただ、新しい技能が同一衝動の活動に変化を与えたに過ぎない。
多くの道徳的性質を獲得する第一歩は、'建設の喜びを味わうこと'から始まる。自分で作ったものをこわさないでとたのむ心情に、「他人の作った物をこわすな」、という理解の契機がある。
労働が生み出したものへの尊敬、忍耐心、観察への刺激などが子供に与えられる。子供と遊ぶ大人は、ただ、子供の野心を刺激し、どうすれば達成できるのかを示唆すればよい。もっと進んだ建設的な教育は、子供が庭で遊ぶ頃に行われよう。子供の最初の衝動は花壇の美しい花を摘み取ることに現れる。叱責・禁止は容易だが、教育として適切ではない。三歳になれば、庭の一隅を子供に与え、種子を蒔かせる。発芽と開花は不思議で貴重な現象として映る。そして、初めて蒔いた種子の花を大事にすることを悟る。
子供は叱られるのがいやで道徳を身につけるのではない。自分の行動のうれしさを通して体得するのである。建設と成長への興味が発達すると、考えの足りない残酷性は消える。この体験を欠くと、昆虫殺し、動物殺し、人殺しへと進む。躾なき本能は、建設的技能を身につけていない人間の暴虐につながる。