(紹介)由良君美『バートランド・ラッセル辞典』と『バートランド・ラッセル・ベスト』
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第12号(1969年4月刊)pp.6-7 & 11.
* 由良君美は当時、東大教養学部教授、ラッセル協会設立発起人の1人。
駅を降りたら年少の友人の姿をみかけ、肩を叩いて一緒にコーヒー店に入ったとでも想像して頂こう。「なに、君もラッセル協会会員だって、本当かね」などという所から、「時に、会報の著作解題はなかなか有益だ」などということになり、話はいつしか「ラッセル研究に役立つ本も時には会報で解題してくれないかな」ということになった。Aは僕、Bは若い友人である。
A「そりゃ、まず碧海純一教授の『ラッセル』だろうよ。勁草書房の思想学説全書にある。」
B「読んださ、第一番に。あの本に教えられて、『私の哲学の発展』も、アラン・ウッドの『ラッセル-情熱の懐疑家-』も翻訳で読んだよ。」
A「案外、勉強してるんだな。じゃあ新しい所で、東宮隆教授の訳ででた『西欧の知恵』(上下)はどうだ。社会思想社からでた。」
B「欲しかったけど、高いから止めた。」
A「馬鹿もん。高いのは図書館で買ってもらうんだ。君は原本を紙装本で買え。Premier Books で380円だよ。原本で読んで、分らない所だけ図書館に行って訳で当たるんだ。」
B「なるほどね。やってみるか。いい本かね。」
A「当たり前だ。『西洋哲学史』を書いたあと、ラッセルがその経験をもとにして、さらに分り易く、別個の立場から圧縮したものだ。図版をふんだんに使って、視覚的に概念を掴めるように苦心してあるんで、ラッセルにしては、マクルーハン式の本なんだ。訳書はとくに、この点を豪華本の方をもとにして生かしてある。」
B「分った、読んでみる。ほかに、紙装本でいい研究書はないかな。著書は一杯あるが。」
A「いや、研究書もある。D. F. Pears: Russell and the British Tradition in Philosophy なんか、本格的な研究書だ。Fontana Books というので買えば、580円だ。」
B「ほんと。ラッセル哲学の認識論が良く分析してあるんだろうね。でもイギリス哲学の伝統って奴が、僕には弱いんだな。」
A「ハハ、そうか。では、ロック、ヒューム、バークリのことを、もう少しかじった頃に、この本のことは紹介してあげる。」
「とっつきやすくて、ラッセルの全貌が収っていて、いつまでも役に立つ本はないの?」
A「相変らず、虫のいいことばかり言う奴だな。しかし気持は分らないでもないから、2冊教えてあげよう。ただし一冊は紙装本ではなくて少し高いが、いい本なんだ。」
B「ぜひ教えて。必ず買って勉強するから。」
A「いいとも。『ラッセル辞典』と『ラッセル・ベスト』っていう2冊さ。」
B『ラッセル辞典』だって。 じゃあ、ラッセルのこと、なんでもでているんだね?」
A「と、思うだろうが、残念ながら違うんだ。恥を明かすが、僕も聞違えたんだ。カタログに Russell's Dictionary とあったのて飛びついた。買ったら実は、Lester E. Denonn 編の Bertrand Russell's Dictionary of Mind, Matter, and Morals,1952 という本で、Philosophical Library 出版、290頁の本だ。」
B「なんだ。じゃあ、精神・物質・道徳のこときりでていないのだね」
A「それはそうだが、これこそ本当の『ラッセル辞典』だったよ。考えてごらんラッセルは百科全書的な広い思想家だし、一世紀を生きぬいてきた人だ。勢い、あらゆることにふれてきたし、思考も鋭利で個性的だ。こういう巨人の全貌となると、どの主著1冊でもそれで済むということがない。総花的な抜粋では体系性も個性も抜けてしまう。そこで編者デノン氏は、ラッセル思想の3つの柱は精神・物質・道徳だと読み、この3つの柱にまつわる重要な固有名詞や概念を、AからZまで千項目以上も選び、それぞれ代表的定義といえる個所を、ラッセルの著書100冊以上から慎重に抜いて辞書の形に編纂した。アベラールからエックス線にまでわたっている。」
B「定義ばかり集めたんじゃ、つまらないな。」
A「そこは編者も考えている。ラッセルは自分の考えを言う前に、必ず争点になっている他の対立した考え方を明快に述べてから、ズバリと定義を下すわけだ。だから、ある事柄についてのラッセルの定義を前後関係から読むと、ラッセルの考えと一諸に、他の立場も分るわけだ。この辞典の特色は、定義の部分だけでなく、文脈を広くとっていて、項目ごとに独立の読み物になっていることだね。そこから、柱は精神・物質・道徳だが、中味は倫理・政治・形而上学・宗教・神学・認議論・論理学・意味論・心理学・哲学史・歴史哲学・科学・数学・物理学などの、あらゆる主要術語が含まれたラッセル思想の全建築になっている。おまけにラッセルの攻撃する相手の思想も、おのずから分るし、その時々の国際関係の移り変りのなかで、どういう発言をしてきたかも、巻末の年表と対照すると分るようになっている。」
B「その『辞典』の資料になったのは、ラッセルのどの時期頃のもの?」
A「1900年から1951年までのものだ。1952年以降がないのは惜しまれるが、しかし、今では手に入りにくい初期の短文から大著まで、ほとんど漏れなく抜枠している。1912年の「結婚を解消すベき潮時」だとか、1942年の「不思議の国のアリス論」なんかも入ってる。今日的な興味なら、1940年の「大学と自由」だの、自分自身については1940年の「ラッセル事件についての手紙」まで入っている。」
B「そりゃ面白そうだ。でも50年にわたる文章から項目を選んだら、ラッセルみたいに思想が変化した人の場合、定義に矛盾が起りはしないかな。」
A「いい所に気が付いたな。その点なら大丈夫。ラッセル自身が序文を寄せてそのことを真っ先に注意しているんだ。自分は哲学上の意見を変える性癖があるとたえず非難されてきた。そのとおりである。自分は意見が変ったことを毛ほども恥じていない。今世紀初頭にすでに第一線で活躍していた物理学でここ半世紀の間に意見が変わらなかったと豪語できる者がいるか。宗教的心情と科学的知識とは別のものだ。宗教的信条ならニカイア会議以来不変でもよろしい。だが自分が尊ぶ哲学は、たえず獲得さるべき確定的知識である。従って新しい発見によって古い誤謬を虚心に訂正してゆくものである。後の研究によって修正を蒙らないとしたら、大いに驚くのは、かえってこの自分であろう、とね。ざっとこうだ。」
B「やあ、ラッセル式だ。痛快な弁明だ。Aさんの言うとうりなら、この『辞典』があれば、ラッセル思想の歴史も解るし、ラッセルを通じて百科にわたる知識が得られることになるね。」
A「これだけでいいっていう訳じゃない。しかしラッセルの膨大な著作を全部読んで全部理解するなんて、誰にも望めるわけじゃあるまい。そうなると限られた能力と興味に応じて、広大なラッセルの頭が生みだしたものから、自分に興味ある領分を噛ることになる。それでいいから、噛りながら、及ばない領域や偏った理解を、この『辞典』を参照することで、除いたり修正したりするには、もってこいの本だと言いたいね。ただ漫然と引いてみてもこんな面白い『辞典』はない。ジョンソン大博士の『英語辞典』の面白さに一寸にている。ラッセルの持ち味と分析の冴えが、ふんだんにつまっている。」
B「なるほどね。いくつか紹介してくれないか。」
A「ゆき当りばったりに開こう。「功利主義」の項がでた。大体こうだ。〈14オの時、倫理の基本原理は人間の幸福の促進であると考えた。自明のことだし、普逼的な意見だと思っていたら驚いたことに、これは非正統的意見で功利主義といわれるものであることを知った。」 これは1944年の「私の宗教的回想」から採られている。これに続いて1944年(松下注:1934年のまちがい)の『自由と組繊』からの引用があって、「最大多数の最大幸福説は真面目にとられると、正統的倫理説にやや反するものになる。バトラーのような人がこの説を採ったことは事実だし、この説が急進派の合言葉になるまでは、誰もこの説を問題視しなかった。だがある行為の善悪をその結果から判断する理論は、うっかりすると因習的見解と一致してしまう。」 「"汝盗む"なかれ」という格言は一般論としては極めて正しいが、盗みが一般の幸福を促進しかねない状況も容易に想像することができる。功利主義体系においては、通常の倫理法則は、すべて例外を許しがちである。」という調子だ。これなどラッセルの思想の発展史上の一つのポイントが分るわけで、併せて功利主義・ベンサム・ミル・善・価値・正義だのの関連項目をつぎつぎに引いてゆきたい気持ちになる。」
B「歴史のことはどういっているの?」
A「「歴史」の項には4つ引用があるね。「歴史には、哲学と数学をのぞくと、他の何よりも私は興味を抱いてきた。へーゲルやマルクスなどの歴史発展の一般的図式は、どうしても受けいれる気がしなかった。しかし歴史の一般的潮流なら研究可能なものであり、その研究は現在との関連において有益である。」というのに始まって、現在の人類の愚行も過去の人類の愚行に照すとき耐えやすくなること、歴史の芸術的性格、異なった環境の理解に歴史が役立ち、想像力が養われることなどの説明が、「批判者に答う(Reply to criticism)」から引かれている。最後の所は「へーゲル歴史哲学」から引かれているが、ラッセルらしいウイットが冴えている。「歴史の進行が法則的であって、十分に賢明な人にとっては決定論的であるかも知れないことは、私とても考えることである。しかし、誰ひとり十分に賢明ではない。」
B「面白い。もっと面白いのはない?」
A「あるとも。「マス・ヒステリー」の項だ。マス・ヒステリーは人間に限らない。群居性の動物には大ていみられる。中央アフリカの野生の象は、始めて飛行機をみて、凶暴な集団的恐怖におちいった。象は生来おとなしい動物だが、この前代未聞の騒音をたてる空中の怪獣をみて恐怖に陥ったのである。一匹一匹の恐怖が伝わり恐怖の倍加を来したのだ。だが飛行機が視界から消えると、恐怖は鎮まった。なぜなら、象の社会にはジャーナリストがいなかったからである。」
B「こいつはいい。マス・ヒステリーなんて、何となく現代人特有の現象かと思っていたが、群居動物の一般現象だ、と言われればそれはそうだ。マス・ヒステリーの操作者の方が問題で、それこそジャーナリストだという皮肉だね。
『ラッセル辞典』の方は大体分った。もう1冊は何という本?」
A「あ、忘れていた。アメリカの Menter Books というポケット版で240円の本だ。R. E. Egner 編 Bertrand Russell's Best,1958 だ。これは16冊の本をもとにして、心理・宗教・性と結婚・教育・政治・論理、の6部に分け、『ラッセル・ベスト』というか、さわり集にしてある。『辞典』のように哲学・物理学・科学まで含む本格性はないけど、1952年(松下注:1956年)のものまで入っている。薄いポケット版だから電車で読むに都合がいいよ。『辞典』の方は座右において、『ベスト』の方は持って歩いて併用してごらん。ラッセル通になれるよ。さあ、帰ろうか。コーヒー・カップの澱もなくなったようだ。(了)