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谷川徹三「ラッセルとトインビー」

『ラッセル協会会報』n.23(1975年5月)p.2.

* 谷川徹三氏(たにかわ・てつぞう,1895~1989:元法政大学総長・哲学者)は当時、日本バートランド・ラッセル協会会長



* 18,19世紀が「イギリスの時代」、20世紀が「アメリカの時代」だとするならば、21世紀は「中国の時代(もしくはインドや日本なども含めて「アジアの時代」となる可能性が大きいと思われます(あるいは、ヨーロッパ、アメリカを含めて三極構造もしくは多極構造の時代と言うべきか?)。ラッセルの死後、中国においては、文化大革命、天安門事件といった、中国にとって影(汚点)となる事件の発生も少なくなかったですが、21世紀においては、好むと好まざるとにかかわらず、米国の力や役割は相対的に小さなものとなり、中国やインドの世界政治・経済における役割は大きなものとなっていくことは、まちがいないものであると思われます。(松下)




 牧野力氏の訳になる『中国の問題』(The Problem of China, 1922)のあちらこちらを近頃再読して、1922年に出されたラッセルのこの書が、驚くほど現代への多くの予言に充ちていることを改めて感じた。
「中国人は、正義と自由だけを求めて、おとなしく優雅である。人間の幸福に役立つ点ですべてに中国文明は、欧州文明よりすぐれている。中国には若い改革者の強力な運動があって、もし彼らに少しの時間をかせば、母国を若返らせ、西欧人が文明と呼ぶ磨り減った研磨機のような機械文明よりも測り知れぬほどすばらしいものを生み出す。」

「もし全世界の人々によって採用されるとなれば、世界中を幸福にするような人間の生き方を、中国人は発見して、何世紀もの間、それを実践してきた。われわれヨーロッパ人はそうでなかった。われわれの生き方は、闘争、搾取、落ちつきのない変化、不満そして破壊を強く求める。破壊に向けられる能率主義は、ただ人類の全滅に終わるしかない。そして、もし西洋が東洋を馬鹿にしているその知恵をいくらかでも学ぶことができなければ、西洋文明の指向しているものは、まさにこの徹底的な人類絶滅の遂行にほかならない。」
 これは中国の古い文化的伝統と、その伝統の中で培われた中国の人間と生活の、当時における在りように対するラッセルの讃美である。今日では中国は国の在りようも、人間と生活の在りようも大きく変わったそして、それによって今日の中国は、米、ソと並んで世界の三大国に数えられている。しかし中国はまだ米、ソのような高度工業国ではない。八億の人口の中で農民の占める比率は圧倒的に多い。そして国の近代化の路線も性急な工業化への道を取らず、農工のバランスをずっと保とうとしている。
 これは中国革命がもともと農村を最大の基盤とし、解放された農村によって都市を包囲し、都市を攻略するという毛沢東戦略によって成就されたという、今日の新中国にもなお巨大な影を投げかけている背景を考えれば少しも不思議ではない。

 トインビーは1972年に出した A Study of History, the one-volume edition illustrated の中で(この書は a new edition revised and abridged by the author and Jane Caplan ともあるように、前のサマーヴェルのものとちがって、1961年に出た「再考察」(reconsiderations)による、前の10巻までの分の大きな訂正を生かし、且つトインビー自身の筆になる部分をも相当含んでいる、いわば決定版である)この新しい革命中国の、現在並びに将来の世界における大きな役割について、予言的に語っている。トインビーは、自分は歴史家として予言しないと言い切っているが、後になると予言として受け取ることのできるようなことを、しばしば語っている。新中国の、現在並びに将来の世界における大きな役割についての彼の言及は、そういう性質をもったものと私には受け取れる。
 それは一言で言えば、1960年代に、人類の運命にかかわる問題となった、世界人口の爆発、自然資源の枯渇と食糧不足、環境汚染、そして核戦争の偶発の危険という一連の諸問題を解決するためには、「世界政府」の樹立が必要であるが、その中核となりうる国は中国を措いてないという考え方である。1950年代、1960年代には、まだ彼の歴史観の基本線に沿って、一文明の解体期にあらわれる「世界国家」の問題としてこれを専ら取り扱い、その中核となる国を、米、ソ、或いは米、ソ、中としていた。しかし今や米、ソをその資格のないものとし、中国のみをその中核に据えるに至ったのである。
 その理由としてトインビーは、米、ソでは南北問題の解決ができないこと、その解決のできるのは、まだ高度工業化されず、農工のバランスを保つ中国のみであること、更に中国にはその文明と伝統的世界観の中にも、それを可能とする性格のあることをあげている。そしてそこにトインビーが、その歴史観の中に古くから導入している中国の陰陽交代の思想を一つの根拠としていることも、われわれの興味をひく。