谷川徹三「現代の聖職者としての大知識人」(バートランド・ラッセル生誕97年記念講演)
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第13号(1969年8月)pp.1-2.
* 谷川徹三(1895年5月26日-1989年9月27日):哲学者,日本バートランド・ラッセル協会第2代会長
* (講演会録音テープを電子化したもの約35分)谷川徹三「ラッセルとアインシュタイン」
九十七回目の誕生日を明日(1969年)5月18日に迎えるラッセルを記念して今日の講演会を開いたのでありますが,会長としての挨拶のついでに2,30分ほど何か話をしろという司会者の命令なので,平生思っていることの一端を申し上げて責をふさぎたいと存じます。
昨年(1968)夏,ソ連がチェコスロヴァキアに軍隊を進めた時,ラッセルはステートメントを出し,「ロシアのチェコ侵略はクレムリンの弱点を曝露し」,「自らの恥をさらし,自分が世界に訴えている原理そのものをはずかしめた」としてこれを弾劾致しました。「基本的自由は,社会主義に対する脅威ではなく,最も根本的な要素である」というのが彼の信念で,この人間の基本的自由を犯すものとして,ラッセルはソ連を弾劾したのであります。
そこで彼は,今年2月,「対ソ抗議ストックホルム会議」を開くことを提案,自らその議題を選定致しました。その詳細な会議の模様などについては後刻,当時ロンドンにあってラッセルとも幾度か会っている日高一輝君が報告すると思いますが,いずれもよく考えられた議題であります。たとえば「チェコは果して反社会主義か」とか,「社会主義に対するチェコのいわゆる'改革'の要求というのは,どういうことであったか」というように,第三者が十分これを検討すべき論点を含んでおります。彼は社会主義者としての信条をもって資本主義の悪を摘発していますけれど,共産主義を信じません。そして共産主義世界と資本主主義世界との緊張が,一般に自由に対する大きな障碍になっていると考えています。ですから今度のソ連弾劾は,ベトナム戦争激化の時期に,当時のジョンソン米大統領やラスク国務長官を戦犯として裁く法廷を同じストックホルムに開いた経緯と精神を等しくしているので,ここにわれわれはラッセルの本来の姿勢を見てとることができるのであります。
ラッセルは絶対の真理というものを拒否します。彼は科学に大きな信頼を寄せていますけれど,その科学とて,大きな関心のまとになっているものでも分らない事柄が無数にあることを言っています。そこに哲学の役割があるわけで,哲学とほ,正確な知識がまだ得られない事柄についての思弁から成るものだと彼は説いております。そこから哲学は,一方では私たちが知るようになるかも知れない事柄について,私たちに考え続けさせてくれるという効用をもつが,他方,知識のように見えるもののどんなに多くが本当は知識でないかをも,私たちに気付かせてくれるという効用をもつものだとも言っています。
そういう考え方の上に立ってラッセルは狂信を忌み嫌うので,宗教的信仰でもイデオロギーでもナショナリズムでも,そうなる危険をもつものに常に警告を発しています。そしてそこから人間の自由の意味と価値とを常に説いており,自由人としての思考と行動とを貫いています。それがベトナム戦争においてはジョンソンやラスクを戦犯として告発させ,チェコ事件に際してはクレムリンを弾劾させたのであります。それによってラッセルは,或る時は右から非難され,或る時は左から批判されました。しかしそれこそ彼を独自な形姿として現代に聳立させているものであり,私どもはそこに彼の真面目を見るのであります。
私はかつてアンドレ・ジード(Andre' Paul Guillaume Gide(A.ジッド) ,1869-1951年2月19日:フランスの小説家/1936年にソ連訪問後は反共に転じ,『ソヴィエト紀行』でスターリン体制を批判。1947年にノーベル文学賞受賞)が,『コンゴ紀行』の中で,1920年代のフランスの中部アフリカ植民地における官僚統治の悪弊を鋭く衝いて,特権を与えられた大会社や右翼の知識人,政治家の憤激と誹謗を買った事実を知っています。然るにそのジードは後に,『ソヴィエット紀行』によって,スターリン治下のロシア社会の実状をあからさまにしたために,左翼知識人や政治家の総攻撃を受けました。ジードは『ソヴィエット紀行』の中で言っているように,「われわれのユートピアが現実のものとなりつつある国」としてソ連にあこがれていた。しかし現実のソ連は,その彼のあこがれていたものとはちがっていた。そこには人間的自由がない。批評精神がない。各自の自分というものがない。そこにあるものは卑屈にせられた心であり,恐るべき画一主義であり,新しく幅を利かせ始めた特権であり,外国に対する驚くべき無知であり,秘密警察の網の目であり,至るところにいる密告者であり,その密告者をはばかった秘やかなささやきであり,何か隠されたものをもった暗い空気であった。その見聞をジードは率直に報告したのです。
それによってジードは左翼の知識人や政治家からの総攻撃を受けたわけです。それはその後,フルシチョフのスターリン批判によって,真実であったことを証明されたのですが,ジードは当時,ごうごうたる非難を攻撃に対して,自分にとっては,自分自身よりも,「ソヴィエトよりもずっと重大なものがある。それはヒューマニティーであり,その運命であり,その文化である」と答えております。そしてそれこそジードの終始一貫した立場でありました。ラッセルの立場もその立場であります。
この立場は,政治の現実を超えることができる。あらゆるものを敵と味方に分けるのが,政治の本質に密着して抜きがたいものとなっているその一性格です。それによって味方のすることは何もかもこれをよしとし,敵のすることは何もかもこれを悪いとする。しかし,これは人間と社会との真実を覆いかくすことになる。ジードやラッセルのような人にはそれが我慢できないのです。彼等がある時には右から非難され,ある時には左から攻撃されるのはそのゆえです。
しかしこういう存在を人間と人間の社会とは常に必要としているのです。特に,今日のような狂った政治季節においては必要としているので,私はジードやラッセルの中に,現代の聖職者を見る思いを抱く者であります。現代ではジードやラッセルのような大知識人が,聖職者たる役割を引き受けているのであります。(終)