(随想) 田中泰賢「ラッセルとチョムスキー」
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)p.16-17.
* 田中泰賢(たなか・ひろよし):執筆当時,ラッセル協会会員で広島電機大学講師。2007年現在,愛知学院大学大学院文学研究科及び教養部教授,文学博士。日本英米詩歌学会理事及び事務局長。比較思想学会評議員。日本英文学会中部支部理事。名古屋比較文化フォーラム評議委員。
言語学者チョムスキーは変形生成文法の創始者として言語学界の第一人者であるが,また政治面でも,アメリカ政府のベトナム政策を批判してきたことも注目される。チョムスキーが,かくまで大胆に行動出来たのは,実はラッセルの影響によるものといえよう。チョムスキーにとって,ラッセルは,彼の言語学的考察と政治的考察の結び目となっているのである。ラッセルの愛への熱情,知識への探求,人類の苦悩への無限の同情(注:『ラッセル自叙伝』プロローグ)は,チョムスキーに,燃えるようなヒューマニズムを注ぎ込んだようである。
ラッセルの人間性についての映像を,チョムスキ-は次のように述べている。
ラッセルの,理性の悲観主義と意志の楽天主義である。世界をそれが現実にあるままに眺める時,悲観主義に陥ってしまう。他面,個人的,社会的解放の為に,社会的存在の一層自由な,一層尊厳な,形式の構成の為に,人間のエネルギーは活用される事が出来る。問題の全ては,各人に自己の知性をこの新しい社会のために捧げる心構えが出来ているか否かを知ることである。この事は,部分的には,我々の力の及ぶことであり,楽天主義も正当な根拠をもつ。全てのエネルギーがラッセルの描いた高尚な目標に捧げられるべきであると。
チョムスキーはまた次のように語っている。
言語学においても政治においても,内的な力を動機とする自発的な自由な努力によって自己の可能性を模索し,創造し,発見し,実現することは,人間の本質そのものに属するというテーゼの上に基礎づけられている。
ラッセルの思想となんと類似していることか。チョムスキーは,当初言語学界からは全く冷たく無視された。にもかかわらず,新しい言語学を樹立したのである。ラッセルも,実に創造的思考豊かに満ちた彼の思想が当初は無視された。両者は共に,その逆境にもめげず,否むしろ逆境において,充分に模索し,活かしたともいえるのである。
両者の視野の広い,一貫した,普遍的思想は一致するものと思う。チョムスキーは,デカルトの生得観念を採用し,言語の原理は,出生の時に精神のうちに現存しているという。ラッセルは決して経験主義に固執せず,鋭く経験論と理性論を対比している。全ての証明は論理原則を前提しているのであるから,この論理原則はわれわれに知られるけれども,経験によってそれを証明することはできないということが承認されなければならない。従ってこの点,理性論者の方が正しいと。ラッセルもチョムスキーも,デカルトの思想的影響を受けているにもかかわらず,チョムスキーの方がかなり生得観念に固執しているのは,ラッセルと異なる点であろうか。
(ラッセル協会会員<(参照)朝日ジャーナル,1973.3.16>)