さて私がラッセルに近づいたのは大正七年頃だったか、当時の評論雑誌『改造』に、福田博士(松下注:福田徳三)のラッセル紹介が出て、そのなかに、ラッセル著『社会改造の原理』(Principles of Social Reconstruction, 1916)の主旨が掲載された時である。直ちに原書を求めて(自分なりに)読み出したのが始まりで、以来今日まで深く親しんできたものである。この「改造の原理」では、人間には '二つの衝動' があって、その一つは所有のそれであり、もう一つは創造のそれである。戦後の社会改造には、特に創造の衝動に重きをおかねばならぬというのであって、当時の二十才を出たばかりの私には、ひどくこの魅力的な言葉に感銘して、私なりに自分のイメージを社会に対して持ち始めたものである。それ以来、機会のあるたびにラッセルの著書を漁っておったところ、大正十年頃か、ラッセルが北京大学で開講の後、帰りに日本に立ちよって、慶応大学の講堂で講演されたことがあった。初めて見る黄色の洋服に長身痩躯(松下注:当時の日本人から見れば「長身」とうつるのだろうが、イギリス人あるいはイングランド人から見ればラッセルは小柄といった方がよいだろう)のこの哲人の姿に、いたく感激したものである。