一九四五年七月十七日、ポツダム会議の開かれた時、チャーチルは世界を揺がすようなニュースを米国スチムソン長官から聞いた。('Churchill in Memorial', New York Times 掲載)
それは「無事にベビーが生れた」というのである。そしてこの原爆弾はニューメキシコの砂漠で誕生したことをつけ加えた。
このときチャーチルの先ず考えたことは、英国も米国ももはや日本を屈服さすのにソ連の兵力を必要としないということであった。
また彼は日本の海軍は既に皆滅し、残すところはそのホームランドの崩壊を待つのみであると記録している。そこで問題はこの原爆の誕生をどうしてスターリンに、いかなる状況のもとに知らしたがよいかであった。スターリンもトルーマンも共によく協力していたので、ここで波瀾を起こさないで、「何にげなく」スターリンに知らせなければならないとトルーマンもいろいろ思案の末、会議の合間に口頭でスターリンに知らせることにした。またチャーチルに、私(=トルーマン)は新しい形の爆弾を、日本が未だ戦争を続けるなら日本にこれを落とすことに既に決定していたといった。
七月二十四日頃までにはトルーマンもそれを決定した。
「一つの新しい爆弾、全日本戦争の決定版だ。なんと幸福な!」 とチャーチルは言う。