* ラッセルは4度も結婚したり、反戦運動のため監獄にはいったりしましたので、児童用の「偉人伝」には余り登場しません。私がつかんでいる限りでは(私の「ラッセル書誌」にあげましたように、)次の2つがあります。
ラッセル英単語・熟語1500
・大蔵宏之(作)「水爆戦争に勝利はない-心からの平和主義者ラッセル-」(日本子供をまもる会編『平和を求める物語』:集英社、1964年4月/世界100人の物語全集・第12巻)p.217-236.
・塩谷太郎「ラッセル」(潮出版社、1971年7月 94p. 15cm./ポケット偉人伝、第7巻・哲学思想家篇5分冊のなかの1冊)
この小冊子は、早稲田大学教育学部教員図書室内ラッセル関係資料コーナーで所蔵しています。
[目次] ラッセル家の家系/考える少年/公理の証明は?/哲学への歩み/ケンブリッジ大学時代/数学書の著述/戦雲たちこめる中で/弾圧、また弾圧/学校経営にのりだす/バートランド・ラッセル事件/核戦争をなくすために
(最初の1ページ目の文章)
ラッセル家の家系
一八七二年五月の夕方。
ウェールズ -イギリスの一地方- のワイ川のほとりにあるトレレックのアンバーレー・ラッセル子爵(ししゃく)の屋敷(やしき)は、喜びに包まれていた。三人目の子どもが生まれたのである。
まるまると太った、元気な男の子だった。
「まあ、なんて利口(りこう)そうな赤ちゃんでしょう。」
「きっといまに、大きな仕事をなさる、立派(りっぱ)なお方におなりになさるにちがいありませんよ。」
召使い(めしつかい)や看護婦(かんごふ)たちは口ぐちに語りあっていた。
そのことばをお産(さん)のベッドにいるアンバーレー夫人のケイトは、にこやかに聞いていた。
出産後三日目、かたわらの小さなベッドに寝ている赤ん坊を見てケイト夫人はびっくり・・・