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島康晴「ラッセル卿はなお元気らしい」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第4号(1966年5月)p.10.
* 島康晴氏は,ラッセル協会会友(大分県,自由業)
* 全学連(全日本学生自治会総連合)とは?


ラッセル協会会報_第4号
 今年(1966年)五月十八日,ラッセル卿は九四回目の誕生日をむかえられる。将に約一世紀に亙り生きて来られた大哲人いや超人である。その生涯は波乱に満ちた生涯である。最近,我々は次々に親しい世界人を失った。チャーチル,シュヴァイツァーをはじめ,T. S. エリオット,サマセット・モーム等と。皆高齢であった。次はラッセルかと当然心配になる。大きな声ではいえないが,ラッセル卿が何歳で死ぬかということは一つのカケになるかもしれない。だがこの超人は非常に元気らしい。
 私がはじめてラッセル卿から手紙を頂いたのは一九六二年(昭三七)十一月二十七日付であった。当時キューバ危機直後のことであり,危機に際して卿は,ケネディやフルシチョフに電報を送り,核戦争回避のため尽力された。このことは当時の新聞にも大きく報じられた。その時の手紙によると「……君は日本の全学連と働くことによって平和運動に貢献することが出来る……」とある。乃ち「……全学連と共に平和運動をやれ……」という趣旨であった。全学連は安保騒動でその名を全世界にはせており,卿の手紙にも Zengakuren とローマ字で書かれてあった。私はラ卿はまたなんと過激なことを云われる人かと内心びっくりした次第であった。だが九十才を過ぎて街頭デモの先頭に立ち,トラファルガー広場に坐り込み,逮捕されても尚その主義・行動を変えないのみか,益々核戦争反対運動を進める卿にとって,当然のことであったのかもしれない。つづいて昭和三八年,当時核実験反対問題で日本の平和運動は大きく分裂していた。乃ち如何なる国の核実験にも反対すべきかどうかということで。この時,昭和三十八年九月十一日付の手紙はかなりの長文であった。要約すれば「……地上に於ける人間の生存そのものがおびやかされている時,生存のための闘争は如何なる特定のイデオロギーの勝利よりはるかに重要であり,核実験は如何なる国の(もの)にも反対しなければならない・・・」というのであった。
 それから幾度か交信があったが最近,ラッセル卿の秘書で且つラッセル平和財団理事であるラルフ・シェーンマン氏からの手紙によると,卿は非常に元気らしい。ここにその一九六五年(昭四十)九月二三日付手紙を記して結びとしたい。

 親愛なる島君,
 ラッセル卿へのお手紙大変有難うございました。卿は,自分は非常に元気で,健康である旨伝えるよう,私に申されました。
 (大分県,島康晴,自由業)