巻頭言_佐々木隆彦「バートランド・ラッセルの大学生活」
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第12号(1969年4月)p.1
* 筆者佐々木隆彦氏は当時、理想社社長、ラッセル協会理事
今日伝記的な出版物が一つの世界的な流行になっているが、過去の偉人の伝記は別として最近漸く完成した3巻に及ぶラッセル卿の自叙伝は、質量共に最も尤なるものものではないかと思う。ラッセルと共にノーベル文学賞を受けた故チャーチルの「大戦回顧録」は世界的に読まれた本であるが、ヴェトナム問題でアメリカを戦争犯罪者ときめつけたラッセルの自叙伝が、皮肉にも昨年(1968年)6月以来数か月間、アメリカでベストセラーになったことはアメリカに戦争反対者がいかに多いかの一証左とも見られようが、この伝記がそればかりでなく清濁共に率直に事実を披瀝しているラッセルの人柄が読者に大きな魅力となっていることは疑いがない。
私は昨年来のわが国の大学紛争に多大の関心を寄せ、各種の雑誌や新聞を読んで来たが、未だに根本的・積極的な解決策を示されたものに行き当たらない。これは事態の収拾に追われて、そこまで至らないせいもあろうが、私にとっては一体正しい大学や大学生の今後の在り方が問題なのである。この点から、外国の特にラッセルのケムブリッジ大学の学生生活に多大の興味を惹かれた。ケムブリッジとオックスフォード大学はイギリスにおける古い伝統をもついわゆる名門校として世界に知られているが、日本の大学のような無味乾燥な鋳型にはまったものでなく、実に伸びのびとした自由研究が許されていたことがよく窺われる。ラッセルは大学における最大の幸福は学内の一団体であるザ・ソサイティの会員になって、そこで多くの優れた知性人と知り合い、数学・哲学・経済・政治の多方面にわたる知識を研鑽し合ったことだと云っているが、次に興味ある一節を引用してみよう。
「ケムブリッジは私に友を与え、知的討論の経験をもたらしたという事実のおかげでわが生涯にとって重要であった。しかし実際上の大学教育という面では重要ではなかった。……私がケムブリッジで得た真の価値ある考え方の習慣といえば、たった一つ -知的正直さということである……第一次大戦に際会して、ケムブリッジにおいてさえ知的正直さにも制限があることを発見したのは私にとって打撃であった。それまでは私が何処に住もうとケムブリッジだけがこの地上においてたった一箇所-わが家とみなすことの出来る場所であると思っていた。
ラッセルが学んだのは既に70余年以前の大学であって、いわゆる「理性と良識」の育成を使命とする大学であったが、その当時でさえ国家の危機に際しては、自由に限界のあったことは、ラッセルが慨く通りである。これに比べてわが国の大学は、古くから学問の自由が一層制約せられ、学閥、門閥、財閥などの旧来の封建性が今なお強く根を張り、更に人口増加による大学生の安売りによってマスプロ教育の弊害が累積した現在、フランス、西ドイツ、イタリア、アメリカ諸国と時を同じうして現体制に反逆するスチューデント・パワーが蜂起したことは決して故なきことではあるまい。しかもこれが1970年の日米安保条約や沖縄返還問題と結びついて、今や単なる学制改革に止まらず社会革命に進んで来ていることは周知の通りである。
封建的権力機構に対する大学生の狂熱的な不満がイデオロギーによってセクト化せられ、暴力には暴力をもって闘っているこの現状に対しては世の非難の眼は冷たい。最近中央大学の袖井氏のマルクーゼ会見記(読売新聞)を読むと、「現在まさに必要なのは変化しつつある社会及び学生の力そのものの理論分析だ。学生は理論的分析に懐疑的で侮蔑感をもっているが、それが彼らの弱点だ。現状を理論的に分析し、それに対決する戦略の検討、彼我の力関係の計算を行なうべきだ」とマルクーゼは語っているが、まさに至言というべきであろう。私はこの際もう一度ラッセルの数多の教育論と民主主義や自由に関する論文を読み返すことは、教育や大学の在り方に多くの示唆が与えられるものと信ずる。(了)