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笠信太郎「ラッセルと如是閑」
『ラッセル協会会報』n.7(1967年4月)pp.1-2.

* 再録:『笠信太郎全集第5巻:私の人間像・日本像』(朝日新聞社、1969)pp.490-494.
* 笠信太郎氏(右写真)は当時、ラッセル協会会長。




 よく如是閑翁(長谷川如是閑, 1875-1969)のことを、日本のラッセルだなどという人がある。何やら莫然たる対照が、ひとの頭に浮んでくるのであろう。それも無理のないところがある、ともに90歳を超えて、痩躯鶴の如き風貌、そういう外観的なところもひとの目に映るのであろう。また、学識の広さや深さ、どことなく世に超然たるところ、勝手なことを平気で発言しているようなところも、似ていないことはない。そういう人が、国は東西に遠く隔てて、たがいに会って話したこともなく、しかも全くの同時代人だということが、かえって面白い点でもあろう。
 もし、ほんとうに意味ありげなことで共通するところを取り上げてみるならば、この2人が、ドイツ系統の思想にはともに反撥する、多元論的な経験主義者であり、その意味で科学的思惟をもってどこまでも物の情を窮わめ、宗教からは遠く離れ来って何となくさばさばとしてみえるようなところ、2人とも、人間の歴史に絶大の興味をもち、従って、史実にくわしく、しばしばものを説くに歴史的事例をもってする態度、またその辺からぴかりと光る知恵が飛び出してきたりすること、そういったところであろう。
 そうした知恵として一番共通するのは、双方ともに徹底した平和主義者であり、しかもその平和は世界国家または世界連邦的な方途以外にないと見透している点である。この点だけでも、如是閑を日本のラッセルだといっても、見当はちがっていないというべきであろう。

 ところが、実はこれほどに、まるで違った人もなさそうに思えるのである。如是閑翁の小田原の閑居(八旬荘)を訪うたことのある人は、翁の仕事机の上、すなわち翁の頭上にかかっている一枚の扁額に目をとめない人はあるまい。それには「断而不行」と書いてある。遠慮のない男だったら、よく読んでみもしないで、「先生、あれはどういうことですか?」などと聞いてみるかも知れない。そういうとき、この八旬荘の主人公が、どんな返事をするか、私は残念ながら聞きもらしている。ところが、つい先日、いまこんなことを書いている私のところに、知友を介して翁の筆跡がとどけられた。開いてみると、「断而不行亦勇也」とある。断じて行わぬということを、翁が大いに重視していることは、これでもはっきりしている。それどころか、この私に下さった揮毫のごときは、薄志弱行の私を大いに誡めてくれたものと受取っている。
 この4字の扁額は、憲法学者佐々木惣一博士の筆だときいている。博士と翁とは、ドイツに同時に滞在されたこともあって、親交があったようであるが、博士がこの4字にどういう偶意を托されたものか、またこれを受取った翁が、あまり上手な筆ともいいかねるこの4字を、いつも頭上にかかげている意図も、私は聞いてみたことはないのである。しかし、傍目八目といってよいなら、翁はその生涯を通じて何かしら断じて行わないところがあるように見える。痩せてはいるが大弓を張ると堂々とみえるその長躯と、常人をしのぐ強い頭脳のもち主は、90年の生涯、断じて娶る(めとる)ことをしなかった。くだらないあれこれの遊びを遠ざけていることなどは、いうまでもあるまい。もう永いこと、家の財政のことなど一切ひとまかせで、自分では断じて財布の中をのぞいたりはしないらしい。財布のことは不思議がないとしても、断じて行わずは、ともかくも一つの見識と勇気のいることに相違ない。
 この翁の「断而不行」を遠いイギリスのラッセル卿とくらべると、まるで裏と表のようなちがいがあるように思われる。
 ラッセル卿は、周知のように、つい数年前、4度目の結婚を行っている。これはまた、断じて行う人であって、日本人には滅多に見られない生き方である。ヴェトナムが燃え上がると、94歳のラッセルはじっとはしていられない。トラファルガー広場に立つし、戦犯裁判などという一種風がわりの思いつきのもとに、大きく動き出さずにはおれないのである。
 その辺は、「是の如く閑」なりと称して、どことなく世を超越したところがあり、世の中が騒がしくなると却ってひたすら静の境地を守るかのように見える如是閑翁とは、いちじるしい相違であり、対照である。しかしこれは、ただにこの両翁の相違であるばかりでなく、東西のちがいをハッキリ象徴するようなところがある。いうまでもなく筆者は、如是閑翁が、この東洋の動乱をよそに、静かに瞑想しているような態度を、非難しようなどとは夢にも考えない。これについては、私たちこそ、ほとんどこれといった効果的なことが、何も出来ないでいるのである。如是閑翁がこのヴェトナムの騒動そのものを、断じて行うべからざるものであったと、深い怒りで見ていることは間違いあるまい。
 それはそれとして、話を少しひろげて、歴史上の出来事のあれこれを思い出してみると、自から動き出したがために愚行を敢てすることになったことが、甚だ多いのではあるまいか。反対に、もしいつ動かなければ、静溢(せいいつ)な生活をつづけ得たと思われるようなことも多々あろう。動きを封ずるために動くことは、日本人にはどうも不得手なことに属するのであるかも知れない。そもそも動かざること、行わざることこそ、和を保ち得るのかも知れない。動いて、行って、ついに和に達するものと、動かず、行わずして、おのずから和を得るものと、2つの行き方のちがいはありそうに思われるのである。
 これは例の「絶えず努力するものは救われる」というファウスト風の動の人生観と、たしか老子であったか、「大国を治めるには、小魚を料理するようにせよ、やり過ぎてはいけない」という東洋風の政治哲学との相違であるかも知れない。(了)