バートランド・ラッセル「露見の恐怖」
最近しばしば、高級官僚やそのおこぼれに群がる役人の悪行がマスコミに報道されます。露見すると「後悔先にたたず」、ということになりますが、露見しないか、露見して糾弾されてもうまく逃げおおせれば、大物政治家や高級官僚は、年をとると勲章その他の国家の栄誉に浴することになります。このようなことは、形こそ違いはありますが、古今東西普通のことで・・・(M)
「露見の恐怖」
・・・。私たちは今日、良心は、場所を異にすれば、それぞれ異なった行為を命令するものである(国や地域により良心の中身は異なる)ことを、そしておおざっぱに言えば、良心はどこにおいてもその部族の慣習と一致しているものであることを知っている。そこで、良心が疼く(良心の呵責)という場合、いったいどういうことが起こっているのであろうか?
「良心」という言葉のなかには、事実、様々な感情が含まれている。その最も単純なものは、「露見しないかという恐怖」である。・・・。ところで、もし露見したら処罰されるような行為をした人に会ったとすると、その露見が間近になっている場合、その人物が自分の犯罪行為を犯したことを後悔しているのがあなたにはわかるだろう。私はこういうことが専門的な泥棒にもあてはまるとは言わない。彼はその泥棒稼業のリスクとしてある程度、入獄を覚悟しているだろうから。けれども、このことはいわゆる尊敬すべき犯罪者、たとえば、金に困って使い込みをした銀行の支店長とか、あるいは情熱にまけて何らかの性的不都合をやってのけた聖職者とかいった連中にもあてはまる。これらの人たちは、犯罪の露見のチャンスがほとんどないように見える場合には、その犯罪を忘れてしまうことができる。だが、その犯罪がひとたび露見したとか、あるいは露見しそうな重大な危機にあるとかいう場合には、彼らはあの時もっと行動を慎むべきだったと考えるだろう。・・・。こうした感情と密接に結びついているのは、仲間たちからのけ者にされはしないかとうい恐怖である。
The Fear of Being Found Out
... We know that conscience enjoins different acts in different parts of the world, and that broadly speaking it is everywhere in agreement with tribal custom. What, then, is really happening when a man's conscience pricks him?
The word 'conscience' covers, as a matter of fact, several different feelings; the simplest of these is the fear of being found out. Yor, reader, have, I am sure, lived a completely blameless life, but if you will ask someone who has at some time acted in a manner for which he would be punished if it became known, you will find that, when discovery seemed imminent, the person in question repented of his crime. I do not say that this would apply to the professional thief who expects a certain amount of prison as a trade risk, but it applies to what may be called the respectable offender, such as the Bank Manager who has embezzled in a moment of stress, or the clergyman who has been tempted by passion into some sensual irregularity. Such men can forget their crime when there seems little chance of detection, but when they are found out, or in grave danger of being so, they wish they had been more virtuous, and this wish may give them a lively sense of the enormity of the sin. Closely allied with this feeling is the fear of becoming an outcast from the herd.
(From: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 7. )