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松永芳市(解説)『(バートランド・ラッセル) 権威と個人』について

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第3号(1966年2月)pp.8-9.
* (故)松永芳市氏(弁護士)は当時、ラッセル協会監事
* 解説というより、ラッセルの『権威と個人』の要約あるいは、重要だと思われる記述の抜き書き。一部わかりにくいところがあるため、少し言葉を補記したり、段落を変えたりした。

Authority and the Individual【電子書籍】[ Bertrand Russell ]




 バートランド・ラッセル卿の『権威と個人』(Authority and the Individual)は,一九四八~一九四九年にBBCで放送されたもの(を、一部修正して本にしたもの)で、「国家その他の団体(Authority)の権力(権威)と構成員たる個人との関係」を説いたものであります。その解説を若干してみることに致しましょう。
 この本の冒頭に、(次のような内容が書かれています。)

ラッセル協会会報_第3号
「この講演で、考えてみたいと思っております基本的な問題は,進歩に必要な個人の創意と、人間が生存をつづけるために必要な社会的団結とを、どのようにしてほどよく調和させていくことができるか?,ということであります。われわれ人間の性質のうちにひそむ衝動の中で、社会的協力を可能にするもののことからお話し致しましょう。
 先ず最初に、そうした衝動がきわめて原始的な社会に現わした形態を、それから文明の進むに従ってだんだんと変わって来た社会組織によって、その衝動がどんなふうに適応性を現わしたかを検討しましょう。
 次にいろいろの時代といろいろの国における社会的団結の広さと強さを、(今日の共同社会と、そして、あまり遠くない将来における一層の進歩の可能性に言及しながら)、考察することにしましょう。
 社会を結合する力について、以上の討議をした後で、社会における人間生活の他の面、すなわち個人の創意に論及し、個人の創意が人類の進化のいろいろの段階において演じた役割、現在において演じている役割、および個人と団体の中に将来創造性が多すぎたり、少な過ぎたりすることのある可能性を説明致しましょう。
 それから、現時における基礎的な問題の一つ、すなわち現代の技術が、組織(国家その他の団体)と人間の性質(人間性)との間に導入した(=もたらした)衝突――このことを他の方法で説明するならば、創造欲と所有欲の二つの衝動を、密接な関係があったと考えられた経済的動機から引き離したことでありますが――そうした問題へと進んで行きましょう。
 わたしは、この問題を説明した後で、その解決に向かって何が為され得るかを検討し、最後に、個人の思想と努力と想像力とが、共同社会の権力に対して有する関係全体を、一つの倫理問題として考慮することに致しましょう。」
の画像  第一回(目)の講演の題は,「社会的団結と人間の性質(人間性)」で、その中でラッセルは,「協力することと結合して団体を作ることとは、社会的生活をする動物に共通な本能にある程度基盤を持つものであり」、動物の本能は自分の子を愛するが、人間はさらに近親を愛し、自分の顔見識りを愛し、これらに協力します。そこから愛郷心とか愛国心とかが発達し、その反面,顔見識りでないもの、他種族の人々、すすんでは外国人をすべて憎み、敵対的になるという心理状態になります。いろいろと変化の過程を経て、利害を同じうするものが団結するとか、信条を同じくするものが互いに愛し合い協力するとかしますが、他面、そうでないものとの間で、競争したり闘争したりします。これが人間の本能であります。人間は、もちろんその生存をつづけるために社会的に団結することが必要でありますが、さりとて団結のために人間の本能を抑えすぎてはいけません。本能はいくら抑えても、何かの隙を見て憤然として頭を持ち上げるものです。ですから,統合された平和な社会を実現しようとするならば、「われわれの大部分が意識していない原始時代そのままの本能である狂暴性を弱め、それを無力にするために、或る面において法の支配を確立する必要がありますが、又他の面において、競争本能に無邪気な捌け口を見出してやる必要があります」。その無邪気な捌け口の例として,スポーツとか登山とかいろいろ挙げることができます。「競争ということがなかったら、普通の人々は幸福な気分を味わえぬと思います」が、その競争は人類が互いに武器と武器とを持って闘うというような,非人道的な破壊的なものでなく、平和的で建設的なもので、しかもすばらしいものであって欲しいものであります。発明とか発見とか,その他「文学の面や立憲政治における政争などは、他人にほとんど害を与えることなく、しかもわれわれの闘争本能に対し相当に適切な捌け口を提供しています」が、それには誰でもができるというものでないという欠点があります。捌け口の一つとして想像力を逞しくして,白昼夢を見るのも一つの方法であります。しかし夢が、絶対に実現不可能なものであると不健全なものになり、正気を失わせるようなものになる危険があります。いろいろ考えれば,よい捌け口は必らず見つかるはずです。「われわれ各自の中にある野蛮性のために、文明の生活と、それからわれわれと同様に野蛮性を持つ隣人の幸福とに、不調和でないような、ある捌け口を見出さねばなりません」と説いています。(了)