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バートランド・ラッセルを読む会(第115回)読書会メモ 115

ラッセル「『人間の知識』」



(『人間の知識』から)

第4部 科学的概念

 第1章 解釈

  本章で扱う問題は、真理ではなく解釈の問題

 解釈の使命は、

 はっきりした定義を与えることができないにもかかわらず、意味よりはそれが真であ

ることの方を我々がある意味で確信しているような陳述(言明)に対して、できるだけ

精密な意味を見いだすこと、またはある場合には、可能な様々な意味の全体系を見いだ

すことにある。

(純粋数学における例)

 数学的記号にはっきりした定義を与えることができないにもかかわらず、そういう記

号で表された式が真であることを信じるための十分な理由をもっている場合

  2 + 2 = 4 を当然のことと思っている。

  それでは、2、+、= の意味は本当にわかっているのか? ←聞かれても曖昧な答

                              えしかできない。

  「直観」でわかる、と主張する人もいる。

    2 → 1+1 /3 → 2+1 /4 → 3 + 1 と順に定義

     2 + 2  =  (1 + 1) + (1 + 1)

    4 = {(1 + 1) + 1} + 1

       ↓↑

    (l+m)+n=l+(m+n)というように( )の順序を変えてもいいとい

   うことを教える新たな直観が必要となる。

     ↓

  (新しい解釈)

  ペアノは、「0」「有限の整数(即ち数)」「の次にくるもの」という3つの不定

  義のことばから出発し、これらのことばについて次の5つの仮定を行った。

  ペアノは、これらの5つの仮定によって算術(arithmetic)のあらゆる式を証明で

  きることを示した。

 (1) 0は一つの数(number)である。

 (2) もしaが一つの数なら、aの次にくるもの(=a+1)も一つの数である。

 (3) もし二つの数の次にくるものが同じなら、その二つの数は一致する。

 (4) 0(zero)はどんな数の次にもこない。

 (5) もしSが一つの集合であって、0を含み、またSに含まれるあらゆる数の次に

   くるものを含むなら、あらゆる数はSに含まれる。(=数学的帰納法の原理)
   ↓

 ペアノは、「0」「数」「の次にくるもの」がこの5つの仮定を満足する何らかのもの

を意味するかぎり、それが何であるか知る必要がないと仮定していた。

 しかし、それでは可能な解釈がいろいろあることがわかった。

 (可能な別な解釈)

 「0」は我々が通常「1」とよんでいるものを意味するとし、「数」は我々が普通「0

以外の数」とよんでいるものを意味するとしても、上の5つの仮定はやはり真となる。
    ↓

 算術の式の範囲内では、「数」に対するこれらの様々な解釈は等しく適切である。我

々は、ものを勘定するのに経験的に数を使うようになるときはじめて、ある一つの解釈

が、他のすべてのものよりすぐれている理由を見いだす。
  ↓

 「イヌには足が四本ある」というような陳述には、算術の式を満たすというだけから

ひきだせない数の定義が必要である。従って、そういう定義が数記号に対する最も満足

な「解釈」である。


●数学の精密性と感覚の非精密性との問題

 もし幾何学が感覚的世界にあてはまるなら、我々は、点や線や面などを感覚的データ

によって定義することができなければならないし、さもなければ、幾何学が必要とする

諸性質をもつ知覚されないものの存在を、感覚データから推論することができなければ

ならない。このどちらかの道を見いだすことが、幾何学の経験的解釈の問題である。

 もちろん幾何学を純粋数学の範囲内にとどめておく非経験的解釈もある。

  三次元のユークリッド空間の構成は、実数のあらゆる三つ組(三項)順列の集合で可

能この解釈によれば、あらゆるユークリッド幾何学は算術から導きさせる。・・・。
    ↓

  順序づけ関係は(論理的な意味では)無限とおり存在し、経験的な便利さのみが我々

に、それらのうちからある一つのものを選ばせ、とくに注目させることができる。
    ↓

  経験的解釈においては、順序づけられる各項ばかりでなく、順序づけ関係もまた経験

的に定義されなければならない。

  これと似た議論は、時間についてもあてはまる。

 数学的物理学では、時間は瞬間からなるものとして扱われる。

 瞬間は数学的「虚構」である。(有用なつくりごととしての虚構)
    ↓

 虚構はいろいろな程度のものがある。(一個人を虚構でないと仮定して・・・)

 家族、政党、クリケットチーム、スミスという名をもつ人の集団、・・・

  ← 論理的にみれば、個人のあらゆる集合は等しく実在であるか、等しく虚構であ

      る。
    ↓

 人々の「人為的」集団と比べた場合の「家族」についてと同様、「瞬間」について、

多くの実際的に重要なことを述べることができると言いたくなる。
  ↓

 解釈の任務は、「あいまいなもの」を、なにか「精密な説明」でおきかえることにあ

る。ただし、その際、我々が「瞬間」をどう定義しようとも、それらは数学的物理学で

必要とされる諸性質をもたねばならない。この要件を満たす二つの解釈が与えられたと

き、そのどちらを選ぶべきかは、好みと便宜の問題である。
    ↓

  古典物理学における学術上の道具は、点と瞬間と粒子(粒子は不滅であると仮定)
    ↓

  現代物理学の根本的な学術的道具は、時空関係によって順序づけられた「事象」の四

次元多様体であり、この「四次元多様体」は、様々な仕方で空間成分と時間成分に分割

可能である。・・・。しかし、「事象」が、一瞬間における一粒子を特徴づけるのに使

われる時空内の精密な位置を本当に持っているかどうかも明らかではない。
  ↓

 よって、現代物理学の解釈の問題は非常に難しくなるが、何らかの解釈なしには、我

々は量子物理学が主張していることが何であるかを言うことはできない。

  「解釈」は論理的な面では、本章の始めに考察したかなり困難であいまいな概念とは

少し違うものである。・・・。

 幾何学における「点」ということば

  ・「実数の三つ組(三項)順列」を意味すると解釈しても、

   ・「共在の完全な複合体」とよぶものを意味すると解釈しても良い。

  ・その他いろいろな解釈の仕方がある。

  これらすべての解釈に共通のものは、幾何学の公理を満たすということである。
     ↓

●解釈の過程の本質

 「公理」は一部は、(i)既知の定義をもつ項(ターム:術語)からなり、一部は(ii)ど

んな解釈においても変数としてとどまる項からなり、また一部は(iii)まだ未定義だが、

その公理「解釈された」とき定義を獲得するようにしくまれた項からなる。解釈の過程

の本質は、この第三の種類の項に対する一定の意義を見いだすことにある。その意義は、

言語的定義によって与えられることもあり、直示的定義として与えられることもある。

この解釈によって、その公理が真となると考えねばならない。

  (例)算術の式を解釈する場合

    前期のペアノの5つの公理のなかにあるもの3つ

  (1)論理的なことば 「は一つの・・・である。」「は・・・と一致する。」  既知

    (2)変数            a,s                             解釈後モ変数ノママ

  (3)その他のことば 「0」、「数」、「のつぎにくるもの」   

                       ↑これらについての5つの公理を真にするような一定の意味

             を見いだすことが解釈の使命

  幾何学の場合にみたように、与えられた一組の公理には、2種類の解釈が可能なこと

がある。一つは論理的解釈、一つは経験的解釈である。・・・。

 解釈の問題は従来不当に無視されてきた。我々が数学上の式の領域内にとどまってい

るかぎりは、あらゆるものは精密にみえるが、我々がそれらを解釈しようとすると、精

密さは一部は幻想であることがわかる。この問題をすっかり明らかにするまでは、我々

はどんな科学についても、それがなにを主張しているのかを多少とも精密に言うことは

できない。