バートランド・ラッセルのポータルサイト
HOME (Top)

シェアする

バートランド・ラッセルを読む会_読書会レジメ 022

(第22回)読書会メモ「ラッセル結婚論」(1981.07.26)

[テキスト]江上照彦(訳)『結婚と性道徳』(社会思想社・教養文庫/Marriage and Morals, 1929) ・初心者用のコンテンツとして,過去の「読書会(ラッセルを読む会)のメモ(or レジメ)」(ただし松下のもののみ)を,今後電子化していきます。資料整理の一貫で,電子化して不要の資料を廃棄したいためでもあります。メモ程度のものが多く,余り参考にならないかもしれませんが,ラッセル初心者の方には,特に未読のラッセルの著書については,多少参考になると思われます。
・他に、堀秀彦・訳(角川文庫版)や後藤・訳(みすず書房・ラッセル著作集第5巻)などがあります。
・ラッセルは晩年になり,結婚と性道徳の問題については、確定的な意見はもうあまりもたなくなった(もてなくなった)と言っていますが、本書は、この問題を考える場合のテキストとしては現代においても十分使えるものと思われます。

ラッセル『結婚と道徳』

序論


楽天で購入!
・歴史を通じて、経済組織家族制度は、社会の特質をなす重要な要素であり、両者は密接に結びついている。・・・。マルクス主義者は、いっさいを経済的根拠から導き出し(下部構造が上部構造を決定すると主張し)、他方、フロイト主義者は、いっさいを家族あるいは性的関係から導き出す。・・・。私は、社会の特質をなす要素として、'経済'と'性'は、いづれも重要なものでありかつ結びついていて、いづれが主でいづれが従であるとは思わないので、マルクス主義者、フロイト主義者のどちらの考え方にも同調しない。・・・。

家族制度が変化するにつれて、'経済的動機'もまた変化する。・・・。(プラトンの国家で描かれているように)もし、国家が'父親の役割'を(全て)とってしまうなら、国家は唯一の資本家になるだろう。・・・。(徹底した共産主義者は、この逆を主張し、もしも国家が唯一の資本家になれば、我々の知っているような家族は生き残ることはないだろう、と言ってきた。)・・・。(いずれにせよ)少なくとも、私有財産と家族との間の密接な結びつき、相互的な関係を否定することは不可能である。

<社会の性道徳の構造>
C.個人の裁量にゆだねられる部分
B.世論が力をしめる部分 (法律は干渉しない)
A.法律に具体的に表現されているはっきしとした制度
  (例:一夫一婦制、重婚の禁止)
・どんな性道徳(性倫理)が、一般の幸福と安寧の見地から見て最上のものか、という問題は、文明の程度、医学・衛生学の進歩の度合い、(それぞれの)社会における男女の比率、気候など、様々な事情によって、その答えは変ってこざるをえない。

性道徳(性倫理)は、個人、夫婦、家族、国家、さらに国際社会というように、いろいろな次元で様々な影響を及ぼす。そして、その影響は、以上のうち、ある面では善であっても他の面では悪であるということになるかも知れない。従って、我々は、所与の制度の得失について結論を下す前に、以上の全ての面(次元)での影響について考察してみなければならない。
  1. 個人的影響:(年少時の教育)年少時のタブーの影響について考える必要がある。→ 第8章で考える。
  2. 夫婦:(男女関係)結婚内の関係と結婚外(婚外)の関係の、双方について考える必要がある。 → 第9から12章で考える。
  3. 家族:現在、一夫一婦制的・父家長制度が一般化している。・・・。はたしてそれが最良の形態か?(ただし、良い悪いは別として、近代文明の発展につれて、父親の役割はいっそう国家の手にゆだねられるようになっていく。 → 第13~16章で考える。
  4. 国家(+国際社会)
     人口問題(含、母子衛生や経済的見地から見た人口問題)について → 第17章で考える。
     人口問題の国際政治や世界平和の可能性に対する影響、優生学的問題(民族の向上と退化) → 第18章で考える。

 どんな性倫理も、以上あげた全ての観点からの検討が終わらないうちは、確固とした根拠に立って、その正否の判断を下すことはできない。革新も保守反動も、両者とも問題の一面しかみない。私的な観点と政治的な観点の組み合わさったものを見出すことはまれである。

現存する制度を見渡すために、過去の制度、また、未開社会の制度について考察し、現制度を改めるべき点や、そのような改善をすべきだとする根拠について考察してみたい。
 

2.母系社会

結婚の習慣は、おおざっぱに言って、本能的要素、経済的要素、宗教的要素といった3つの要素のまざったものである。・・・。性関係に含まれている本能的要素は、普通思われているよりはるかに少なく、そのことは人類学の成果によってよく理解できる。・・・。人類学は、'本能'をまるで反対だと考えるべき多くの慣習が本能とそれほど摩擦を起こさないで長期間存続できるという事実を明らかにしてくれる。・・・。

・'本能'という言葉について: 厳格な心理学的意味で本能だと言えるのは、幼児にみられる乳を吸う行為だけであるから、'本能'という言葉は、'性的な事柄に含まれる人間の行動'のような固定しないものにあてはめるのはふさわしくないだろう。・・・。我々人間が人間として身につけているものは、まず、初めに不満足であり、・・・、本能的であるものは完結した活動というよりも、それを'学ぼうとする衝動'であって、多くの場合、'満足を与える活動'は明確に予定されていない。

・離乳期までは、母親は子供と身体上の密接なつながりがあるので、母性としての感情は案外理解しやすいが、父親と子供との関係は、(妻の貞操に関する信頼感に結びついているがゆえに)、間接的、仮説的、推測的であって、知的な側面が多すぎるので、本能的だというのは適切ではない。

[マリノウスキーによるトロブリアンド島民に関する研究]
マリノウスキーによるトロブリアンド島民に関する研究は、'父親であることの心理'の理解に多くの示唆を与えてくれる。・・・。男性をして、自分の子供に興味を持たせるものとして、2つの理由がある。即ち、①ある子供を自分の子供だと信ずるから、あるいは、②子供が自分の妻の子供であることを知っているか、である。・・・。トロブリアンド島民には、'生殖における父親の役割'がわかっていないので、2番目の動機だけが働いている。・・・。トロブリアンド島では、妻は夫の村に行って生活するが、彼女やその子供は依然として、もとの出身の村のものとみなされる。夫は、子供と何も'血縁関係'はないとみなされているので、血統をたどるのは、女性の系統によるだけであって、(我々現代人にとって普通の)父親がとりおこなう種類の、子供を支配する権威は、母方の叔父に与えられている。・・・。
・マリノウスキーは、父であることが認められない時期が、どこにもあったに違いないから、全ての人類は、トロブリアンド島民が現在いる段階を経てきたに違いない、と主張しており、私もそう思う。
 

第3章 家父長制度

父性の生物学的事実が認められるやいなや、全く新しい要素-ほとんどあらゆる地域で父家長制社会を生み出すにいたった要素)が父親としての感情のなかに入ってくる。・・・。そうして、父親の子供に対する愛情は、2つの要素、即ち、権力愛と不死の願望で強化される。・・・。父性の発見は、(その結果)人間社会を母系社会段階にあった時よりも、より競争的なものにし、・・・(子孫が偽造されるのを防ぐために)女性の貞操を確保する唯一の手段として、女性の(男性に対する)隷属化をもたらした。・・・。そうして男女間の愛情は、子供を確実に嫡出子にしたいという願望によって破壊されてしまった。そして愛情ばかりでなく、女性が文明に対してなしうるいっさいの貢献も、同じ理由によって阻止されてしまった。・・・。男性が花嫁の処女であることを望むようになったのは家父長制の出現とともに、初めて起こったものと思われる。・・・。

・文明の歴史は、主として父権が次第におとろえていく記録であって、その父権は、たいていの国で、歴史的記録が始まる直前に極点に達した。中国や日本で存続してきた祖先崇拝は、初期文明の一般的特色であったように思われる。・・・。

聖書の創世記を読むと、いかに人間が多くの子孫を求めていたか、また、いかの多くの子供を持つことが、当時'有利'であったかよくわかる。子供(息子)が殖えることは、羊や牛の群れが殖えるのと同様、有利であった。だが文明が進歩するにつれて経済的環境が変化した(子供が殖えることが多いことが必ずしも有利なことにはならなくなった)ので、・・・、ローマが栄えてからは、富者も、もう大家族を持たなくなった。・・・。また、キリスト教の、人間不滅の約束は、人間が自分も子孫を残したいという気持ちを弱めた。・・・。現代社会では、今日でも、父系中心であり、家族はやはり存続しているけれども、父性を重視する度合いは、古代社会よりもはるかに低くなっている。・・・。また、男性の希望や野心は、創世記にみる家長のものとは、まったく違っていて、現代の男性は多くの子孫を持つよりも、むしろ、国家社会に地位を占めることによって、大きいことをしたいと望んでいる。・・・。こういった変化は、伝統的な道徳や神学が昔よりも力が弱くなった理由の一つであるから、宗教(主としてキリスト教)が、どのようにして男性の結婚観及び家族に影響したか、次(第4~6章)で検討してみなければならない。
 

第4章 男根崇拝、禁欲主義、及び罪

父性という事実が初めて発見された時から、はいつも宗教にとって重大な関心事であった。・・・。なぜなら、宗教は、神秘的で重要なあらゆることに関係するからである。・・・。
 

A.性を肯定する要素

・作物にせよ、羊の群れにせよ、女性にせよ、それが実を結ぶことは、農業、牧畜段階の初期には、男性にとって、最も重要なことであった。・・・。古代エジプトでは、母系社会が終わらないうちに、農業が起こったようであるが、そこでは、宗教に含まれる性的要素は、初めは男根的なものではなく、女性の生殖器に関するものであった。・・・。だが、後期エジプトになると、たいていの文明国の場合と同様に、宗教に含まれる性的要素は、男根崇拝の形をとった。・・・。
・世界の多くの地方では、(男性とみなされた)月が、全ての子供の真の父だと考えられてきた。・・・。はなはだ不正確な'太陰暦'は、いたるところで月崇拝に熱中する僧侶によって擁護されており、'太陽暦'の勝利はのろく部分的であった。

B.性を否定する要素(キリスト教会の見解は次章)

・ある環境の下では、人は自然に性を恐怖する結果に陥る。その主要な原因と考えられるのは、嫉妬と性的疲労の2つである。嫉妬が生じる場合はいつも、たとえ、それが微弱なものに過ぎなくとも、性的行為は嫌なものに感ぜられると同時に、それを引き起こす欲望は、忌まわしいものと思われる。・・・。性的疲労は、文明社会がもたらした現象である。・・・。文明社会は、性的疲労を防ぐ自然弁である求愛の役割をはなはだしく現象させ、その結果、かなり厳格な倫理的抑制を受けない男性は過度にふけりやすい。このことは、結局、倦怠と嫌悪の感情を引き起こし、その感情は禁欲主義的確信に通じている。よく起きるように、嫉妬と性的疲労が一緒に作用する場合は、性を否定する感情は非常に大きくなる。