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バートランド・ラッセルを読む会(第6回)読書会メモ 008

「ラッセル権力」(1980.05.18)

[テキスト]東宮隆(訳)『権力』(みすず書房版・ラッセル著作集第5巻/On Power, 1938)

ラッセル『権力論』

第8章 経済的権力


 一つの国家内では、経済力は、まず法律があって然る後に初めて出てくる。・・・。労働のもつ経済力はひとまず別にして、他のすべての経済力はどこまでも分析していくと、結局、誰が一定の土地に立ってそこに物を持ち込み、また、そこから物を取り出してよいかということを、必要とあらば武力(軍事力)を用いてでも決定できる力を指す。・・・。(アメリカ合衆国(国内)の石油が若干の会社のものということになっているのも、これらの会社が石油に対する法律上の権利をもっているからであり、その法律を強制するためのアメリカの軍事力がその背後にひかえているからである。そもそもの初めにその石油地帯を持っていたインデイアンに法律上の権利がないのは、彼らが戦争に負けたからに他ならない。)
 '土地の所有権'といっても、それは要するに、誰ににその土地に立ちいることを許すべきかを決定する権力に他ならない。・・・。
 保護の与え方を決定する規則ができるやいなや、本当は軍事力が支配しているのだが、法律がそれを支配しているような「偽装」が施される。
 経済力は法律に規定されるものであるかぎり、究極において、土地の所有権にかかるものではあるが、現代社会において経済的権力の最大部分をもっているのは、決して名目上の土地所有者ではない。・・・。産業主義の発達したところでは、信用 Credit のほうが名目的な土地の所有権よりも強力なものになった。・・・。
 経済力を握ることは、やがて軍事力ないし宣伝力をも握ることになるかもしれないが、これと正反対の行き方も同様に、ともすれはおこりがちである。..。たとえば、アレクサンダー大王(軍事力から・・・)やマホメット(宣伝力から・・・)・・・。
 今日、国際関係の上では、経済力の重要な形式は、'原料'と'食糧'を握るということであり、一番重要な原料とは'戦争に必要な原料'に他ならない(たとえば石油)。このようにして、軍事力と経済力とはほとんど区別出きぬものとなった。・・・。
 ただ一つの組織のなかに全ての形式の権力が結びつく傾向は、現在一般的なものであって、この組織とは、必然的に、国家ということにならなければならない。・・・。
 一つの個別の科学としての経済学などというものは、非現実的なもので、それを実践上の指針にでもするということになれば、どんな迷路にふみこまされるかわからない。経済学はもっと広汎な科学、則ち、権力の科学の一要素 一非常に重要な要素であることは確かだが- に他ならない。

第9章 世論を動かす力

 広汎な世論を生み出すための3段階
 1.小数の人間を転向させる(考え方を変えさせる)ための純粋の説得の段階
 2.社会の残りの人々を適切な宣伝にさらすために権力を行使する段階
 3.(最後の段階は)1~2で意図されたものが、いまや、大多数の人々の純粋な信念となってしまう段階(この段階においては力の行使は不必要となる。)

 力の助けをかりずに、世論に影響をおよぼした重要な例
 1.科学の勃興: 科学の場合、理性が偏見に勝ったのは、科学が現在の目的を実現する手段を供してくれたからであり、そのことの証拠が圧倒的だったからである。
 2.宗致の創姶者による説得: このような揚合の信念の原因になっているものは科学の場合とちがって、事実の証拠によるものではなく、信念から生ずる楽しい気持ちにあり(信じられることには楽しみがあり)、その信念を信ずるに足るものに思わせる環境が必ずくると主張する力強さにある。)
 3.広告: (例)薬の広告(健康への希望を与えてくれる。)

 信念 Belief も単に伝統的なものに止まらぬものの場合には、それはいくつかの要因の結果である。その要因とは、欲求 desire、証拠 evidence、くりかえし iteration である。・・・。社会的に重要な何らかの大衆的信念を生み出すには、以上の3つの要素が全てある程度なけれはならない。・・・。
 権力の保持者が、信念に影響を与える能力を獲得するのは、くりかえしのもつ効果によるものである。国家も幾世紀かにわたって、いろいろな方法を用いてきた。貨幣に王の顔を刻みつけたり、戴冠式や○×年祭を挙行したり、陸海軍の観兵式をやったり・・・。
 しかし、こうした方法も、教育とか、新聞,映画,ラジオのような(マスコミ等)ずっと近代的な方法に比べれば、その力ははるかに弱い。
 世論を動かす力も、他の全ての形式の権力と同じように、ともすれは合同と集中に傾くものであり、それは論理的にいって、国家の独占に通ずるものである。