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バートランド・ラッセルを読む会_読書会レジメ 003 - 「ラッセル幸福論」(1980.03.09)

[テキスト]堀秀彦(訳)『ラッセル幸福論』(角川文庫版/原著:The Conquest of Happiness, 1930)

ラッセル『幸福論』に対するコメント

  1. 片桐ユズル
    「ふつうの幸福論は、感情を重んじなさい、という。その結果、ウェットで保守的なものが多いような気がする。・・・
    この(ラッセルの)幸福の考え方をささえているのは、生物学的本能にまでひきさげて欲望をドライにはだかにして、それをみとめることと、関心を外ヘ向けなさいということ。・・・。
     おしむらくは、この本を読んで一番直してほしい内向症(内向的)な人たち、これらのウェットな人たちは、(ラッセルの)発想からして反発を感じて読んでくれないのではないか?」(みすず書房版『幸福論』訳者あとがき)

  2. 堀秀彦
    「五十歳を越した人間がまじめに「幸福」ということを論ずるには、みずみずしい精神が必要だ。私たち平凡な人間の過半は、五十を過きればもはや幸福などということをまじめに論じたがらない。・・・。
     幸福の正体はよくわからない。わかるのは、幸福のほうではなくて、不幸のほうだ。してみれば、できるだけ不幸を避けること、人間を不幸におとしいれるような物の見方や考え方をしないこと、--それが幸福へ至るための消極的な第一歩でなけれはならない。(角川文庫版「幸福論」への訳者あとがき)

  3. 日高一輝
    「ラッセルが The Conquest of Happiness を書いたのは、58歳の時で、そのころラッセルは、教育の理想を実現しようとして Beacon Hil1 Schoo1 を経営していた。・・・。教育に精魂をつくしながらも、しかも同時に、その経営のための財政的困難とも闘わなければならなかった。・・・。そうした事情もあって、ラッセルは、できるだけこの本をポピュラーなものにしたいと考えた。疑わしい概念や学者的な用語はつとめて避けた。(講談社文庫版『幸福論』への訳者あとがき)

  4. J. M. Bochenski
    人間を普遍的に完成させていくことによって達成される幸福がつねに目標として追求されるべきであり、より多くの幸福が生ずるためには、すべての自然や人間の天性でさえが科学的なとりあつかいの対象とならなければならない。」(岩波書店刊『現代のヨーロッパ哲学』p.68)
の画像
  ↑ 当時の電話番号

The Conquest of Happiness 以外のラツセルの著書より引用

I Be1ieve,1925 より

の画像 Happiness is nonetheless true happiness because it must come to an end nor do thought and love lose their value because they are not everlasting.
「幸福は、いつかは終わらねはならないからといって、その分だけ幸福でなくなるというのではない。又、思想と愛とは、どちらも永遠に続くものではないからといって、その価を失うものではない。」

Bertrand Russell Speaks His Mind,1960 より

「問:頭の悪いほうが、楽しみが多くなるといわれたら、どうなさいますか?」
 「答:やあ、そんなことはいやですね、どうしても。じっさい、頭がもう少しよくなれるなら、楽しみのほうは減っても構わないくらいです。いや、頭のいいほうがいいです!」


New Hopes for a Changlng World 1951 より

Most people feel more insecure than in fact they are. And the only road to security that they can think of is one that enables them to climb on the shoulders of other people ...
Love is good and cannot be kept alive by being bound in fetters . Jealousy is due to the fear of being unable to retain love, and the cure for this is not to punish those who do not love us, but rather to be lovable.
 fetter: 足かせ

The child lives in the minute, the boy in the day, the instinctive man in the year. The man imbued with history lives in the epoch. Spinoza would have us live not in the minute, the day, the year or the epoch, but in eternity.