バートランド・ラッセルを読む会_読書会レジメ 002 - 「ラッセル幸福論」(1980.02.10)
初心者用のコンテンツとして,過去の「読書会(ラッセルを読む会)のメモ(or レジメ)(ただし松下のもののみ)を,今後電子化していきます。メモ程度のものが多く,余り参考にならないかもしれませんが,ラッセル初心者の方には,特に未読のラッセルの著書については,多少参考になると思われます。
[テキスト]堀秀彦(訳)『ラッセル幸福論』(角川文庫版/原著:The Conquest of Happiness, 1930)
(注)不適切な訳があるかもしれませんが,当時の,ほぼ堀秀彦(訳)のままにしてあります。
第2部:幸福をもたらすもの
多くの人々を進んで何の努力もなしに好きになるということは、おそらく、個人的幸福のあらゆる源泉のなかで最も大いなるものであるだろう。
幸福の秘訣は次のごときものである。--即ち、諸君の関心・興味を出来るだけ広くすること、そして、諸君の興昧をそそる人や物に対する諸君の反応を出来うる限り、敵対的でなく友好的たらしめることである。
1.熱意
いっそう多くの事物に興味をもてばもつほど、それだけ彼は幸福の機会を多くもつ。そして、それだけ運命の慈悲にすがらなくてもすむ。なぜなら、彼が一つの事物を失えば、彼はもう一つ別の事物におもむくことが出来るのだから。・・・。
もし彼が、(生まれてから)今までのうちで一度も、根本的に邪魔されることがなかったとしたら、やはり、外界に対していつまでも自然の興味を持ち続けるだろう。・・・。文明社会における熱意の喪失は、大部分、私たちが生きていく上で欠くべからざるところの自由を制限されたことによるものである。・・・。青年時代においては、文明人の自由は学校で制限され、成人の生活においてはその労働時間によって制限される。
2.愛情
生活に対する一般的な自信は、人間が必要とする正しい種類の愛情を十分にいつも受けているということから、いっそう多く出てくるものである。・・・。
人々は愛情を注ぐのに緩漫である。というのは、人々が愛情を注いだその相手によって、
あるいは又、せんさく好きな世間によって、かえってひどい目にあわされるのではないかと恐れるからだ。・・・。誰も彼も、今日、彼自身あるいは彼女自身を与えきらないようにしている。・・・。本当に価値あるところの性的関係とは、その間にいなかる沈黙もないところの関係であり、二人の全人格が一つの新しい集合的な人格にまでとけあうような関係である。あらゆる形の用心警戒のうちで、愛における警戒こそ、おそらく真の幸福にとっては最も致命的なものであるだろう。
3.家庭
両親が子供に対してもつ愛情の価値は、主として、それが他のいかなる愛情よりも'信頼度'が高いという事実のなかにある(人は、その友を友の長所ゆえに、又、その恋人を恋人の魅力ゆえに愛するだちう。だが、もしもその友や恋人の長所や魅力がなくなったとしたら、・・・)
その子供が満9ケ月以上になったら、その母親の専門的(職業)活動に対して、子供が乗りこえがたい障壁をきずくようなことがあってはならない。社会が一人の母親から、理性をこえた程度で、その子供のために犠牲になることを要求する場合には、必ず、(その母親がまれなる聖者でない限り、)その母親は子供から彼女の権限を越えた償いを期待することになる。昔から、いわゆる'自己犠牲的'といわれている母親は、大半の場合、その子供に対しては非常に利己的である。
4.仕事
仕事は、何をしようかということを決定することなしに、一日のうちの相当な時間をつぶしてくれる(退屈の予防策になる)。・・・。
目的の連続性ということは、結局、幸福をつくりあげる最も本質的な部分の一つである。
最も大きな満足を与える目的とは、一つの成功から次の成功へと、いつまでも死せる終点にたっすることなく限りなく導いてくれるところの目的のことである。
5.非個人的興味
その人の主たる活動の外にあるところの、もろもろの興味。・・・。
非個人的な興味は、それが緊張の弛緩という意味をもっているだけでなく、・・・、これらの興味は、人をして均衡感をもたせるのに役立つ。私たちは、自分自身の職業や自分自身の仲間や自分自身の仕事のタイプといったことにのみ心をうばわれ、その結果、この世ではこうした事が人間活動全体のなかでいかに小部分しかしめるにすきないか、この世には私たちのしていることに全々影響されない、いかに多くのことが存在するか、ということを忘れてしまいやすい。
最も幸せな人生においてさえ、物事がうまくいかない場合があるものだ。・・・。そういう時期に、その心配の原因以外の何かあるものに興昧をもつことが出来るという能力は、まさに一つの恩恵である。・・・。その人の生活が、それまで、ごくわずかな興味さえも、今や、悲しみによって混乱してしまえば、(このように)心(気分)の転換をすることは難しい。悲しみが訪ずれた時に、その悲しみにたえるためには、平常幸せな時に、ある程度の広い興味を養っておくことが賢明である。
6.努力とあきらめ
ひとつの実際的な仕事における能率は、私たちが、その仕事に注ぎこむ感情のいかんに比例するものではない。それどころか、感情は能率のための障害にしばしばなる。必要な態度は、最善をつくしながら、その成果は運命にゆだねるということである。